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大谷翔平「同級生はやっぱり特別」宮城&朗希は“待ち合わせ”して食事、いつでも一緒の湯浅&大勢…侍ジャパンの“仲良しペア”を調査してみた
posted2023/02/23 11:05
text by
佐藤春佳Haruka Sato
photograph by
Hideki Sugiyama
「あいつの正体を暴いてやろうと思って」
こんな言葉を口にして嬉しそうに笑ったのは鈴木誠也だった。2016年11月。翌年春に控えた第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)を前に、日本代表「侍ジャパン」はオランダ、メキシコとの強化試合を戦っていた。このシリーズで代表に初招集されたのが鈴木。この年のシーズンで25年ぶりのセ・リーグ制覇を果たした広島カープで躍動した22歳は、“神ってる”勢いそのまま、日の丸のユニフォームにも袖を通した。
大谷翔平「“同級生”はやっぱり特別」
「あいつ」とは、大谷翔平(当時日本ハム)のことだ。ともに1994年生まれの同学年。プロ1年目から二刀流として大活躍していた大谷は、同世代のトップランナーとしてすでに日米野球やプレミア12で日本代表入りし、小久保裕紀監督率いるチームの主力メンバーになっていた。
やっと追いついた同学年のスター選手を“密着マーク”するべく、練習中、鈴木はいつも大谷のそばにいた。アップやストレッチでペアを組み、大谷が特打をすると聞けば負けじと志願。「いいところを全部吸収したいから」とウエートトレーニングも一緒にこなし、気づけば宿舎でも大谷の部屋を訪ねては共に過ごす、という間柄になっていた。
高校時代からスター街道を歩いてきた大谷にとっても、先輩ばかりの代表チームで鈴木の存在は頼もしかったはずだ。17年1月にWBC代表入りが決まった時には、同い年の鈴木と藤浪晋太郎(当時阪神)が共に選出されたことについて「“同級生”はやっぱり特別かなと思います」と喜びを口にしていた。結局大谷はその半月後に右足首の故障のために辞退して本大会出場はならなかったが、二人の絆はその後より固いものとなった。