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「まるで別人」“怖がられていた現役時代”から激変…斉藤和巳45歳が明かす引退後“ゴルフ三昧→ホークス投手コーチ就任”の裏側「来たか、と」 

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田尻耕太郎

田尻耕太郎Kotaro Tajiri

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photograph byJIJI PRESS

posted2022/12/15 11:03

「まるで別人」“怖がられていた現役時代”から激変…斉藤和巳45歳が明かす引退後“ゴルフ三昧→ホークス投手コーチ就任”の裏側「来たか、と」<Number Web> photograph by JIJI PRESS

ソフトバンク一軍投手コーチに就任する斉藤和巳。「負けないエース」が明かす、引退後の生活やコーチ就任の経緯、目指す指導者像とは

 一方で、斉藤のことを「悲劇のヒーロー」として記憶する野球ファンも少なくないだろう。06年のパ・リーグプレーオフ第2ステージ第2戦。最終回まで0-0の均衡を保った好投も空しく、サヨナラヒットを打たれた斉藤は、マウンドに崩れ落ちた。敵地・札幌ドームに響く大歓声の中、チームメイトに抱えられて静かにマウンドから去る姿がその象徴として語り継がれる。

引退後は何をしていた?

 のちに、その試合ではすでに、かねてより爆弾を抱えていた右肩の状態が限界に達していたことを明かしている。結局、翌07年10月を最後にマウンドから姿を消し、08年1月にプロ2度目の右肩手術、10年2月にも同箇所にメスを入れた。若手時代も含めた計3回で、大小17にも及ぶ手術痕が右肩に刻まれる。そして、11年からは支配下選手登録から外れ、「リハビリ担当コーチ」との肩書でユニフォームを着たが、13年7月に現役復帰を断念してチームを退団した。

 以降、仕事の軸は野球解説者で、近年は東京に拠点を置きながらも携わる大半はソフトバンクの試合だった。羽田と福岡を1カ月に何往復もするのは当たり前。さらにスポーツ専門チャンネルでは対談形式の冠番組をもち、MCも担当した。また、余暇のほとんどは趣味のゴルフに費やし、週の半分以上ラウンドすることもあるくらいだった。

「この10年は会う人みんなに『楽しそうやね』って言われるし、実際に楽しかった。もちろん、仕事で色んな失敗もしたし反省することも毎回あったよ。でも、その中でも時間を、如何に充実させるかというのは常に考えていた。だから、めちゃくちゃ充実した時間を過ごしていた」

コーチ打診に「びっくりした部分もあった」

 第2の人生を謳歌していたはずだった。それでも、今回のコーチ就任の要請があった際には「率直に……来たか、という感じはしたけどね。びっくりした部分もあったけど、正直うれしさの方が勝ったかな」と心を揺さぶられた。再び野球漬けの日々に舞い戻ることに迷いはなかったと言う。

【次ページ】 “斉藤コーチ”の指導風景

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