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サッカー日本代表PRESSBACK NUMBER
「なんで僕が代表に?」17歳でAマッチデビュー…“日本一忙しい高校生”市川大祐がフランスW杯落選を告げられた日「岡田さんは結論だけを…」
text by
寺野典子Noriko Terano
photograph byJFA/AFLO
posted2022/09/25 17:01
1998年フランスW杯で、落選後もチームに残ることを選んだ当時18歳の市川大祐(右)。小野伸二、岡野雅行らとジャマイカ戦の戦況を見つめる
その機会はすぐに巡ってくる。高校2年生で、早くもトップチームの一員となったのだ。1998年のプレシーズンのキャンプに、ユースから唯一参加することになった。
「周りを見る余裕もなくて、ついていくだけで必死でした。プロの選手のすごさを知って、まだまだ自分には足りないところがあるなと当然思うんですけど、それ以上に充実感がありました。その日の練習が終わるとすぐに、次の日の練習がすごく楽しみなんです。自分が力を示せば、トップの試合に出られるという場所に居ることが嬉しかった。できないことや足りないこともたくさんあるけれど、できないことに目を向けて落ち込むのはもったいない。それよりも、もっとうまくなりたいとか、自分の特長を活かしてチャレンジしようと考えていました」
当時の清水を率いていたオズワルド・アルディレス監督が作る「プレーすることを楽しむ」というポジティブな空気も、市川の成長を後押ししたのかもしれない。
「なんで僕なんですか?」悔し泣き後の代表初招集
市川はホームでの開幕戦で先発デビューを飾り、続く第2戦でも先発した。そんな17歳のもとに、日本代表招集の一報が届く。
「まず電話でマネージャーから一報を受けたときには、何を言われているのか、全然理解できなかったですね。『なんで僕なんですか? この2試合で、なんで僕?』と。確かに先発はしたけれど、どちらも途中交代で、自分ではまったく納得できなかったんです。4対1で勝った開幕戦のあとは、あまりにも悔しくて、シャワーを浴びながら泣いていましたから。やれるだろうという気持ちがあったのに、できなかった。プロの世界は甘くないと葛藤していた状況で、いきなりA代表の話が来たので、そのギャップが大きかったことを覚えています。『岡田(武史)さんは、いったい僕の何を評価して代表に呼んでくれたんだろう』と……」
岡田はU-16代表時代から市川に注目していたと言われている。一方で、自身が指揮を執るW杯フランス大会には間に合わないとも考えていたが、トップチームでプレーする市川の成長を目の当たりにしたことで決断したという。だが、市川自身にそういった説明は「一切なかった」そうだ。