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サッカー日本代表PRESSBACK NUMBER
「なんで僕が代表に?」17歳でAマッチデビュー…“日本一忙しい高校生”市川大祐がフランスW杯落選を告げられた日「岡田さんは結論だけを…」
text by
寺野典子Noriko Terano
photograph byJFA/AFLO
posted2022/09/25 17:01
1998年フランスW杯で、落選後もチームに残ることを選んだ当時18歳の市川大祐(右)。小野伸二、岡野雅行らとジャマイカ戦の戦況を見つめる
Aマッチ出場最年少記録を更新した市川が、翌朝のスポーツ紙の一面を飾った。
「帰国する飛行機にすでに当日の新聞が置いてあったんですが、自分が一面に載っているのには驚きました。そのあとも、静岡へ戻るために名古屋駅を歩いていたら『昨日、試合見ました』と声をかけられて、『なんだ、この変わりようは』って(笑)」
わずか一夜で市川を取り囲む空気が一変する。トップチームでのトレーニング、高校への通学、週末のJリーグという日常に日本代表の活動が加わったことで、“日本一忙しい高校生”とも言われた。
日本代表は5月7日にW杯フランス大会に挑む25名のメンバーを発表した。事前合宿地のスイスで6月2日に大会登録メンバーの22名を決定し、6月3日のユーゴスラビア戦を経てフランス入り。その後、6月14日にW杯初戦のアルゼンチン戦を迎える、というスケジュールだった。
「日本を発つときには、25人から3人が落選するということもいまひとつ理解できていなかったんです。韓国戦後はW杯までの残り時間でできる限り成長したいという気持ちだけで、あまり細かいことを考える余裕もなかったですね。スイスに到着して、徐々に理解していったという感じでした」
落選を告げられた朝、即座に「残ります」
6月2日の朝、部屋の電話が鳴る。岡田監督からだった。
「監督の部屋へ行くと『今回はメンバーには入らない』と言われました。『やっぱり』というのが最初の感情でしたね。外れるのは自分じゃないか、と薄々感じていたんです。なにせ国内合宿からスイスへ入ったあとも、まったく調子が上がらなかった。身体は重くて、キレも悪い。ずっと『なんでだ、なんでだ』と思っていた状況でのメンバー発表だったので……。
岡田さんから『日本へ帰ってもいいし、残ってもいい』と言ってもらい、即座に『残ります』と伝えて、部屋を出ました。岡田さんは、結論だけを簡潔に伝えてくれました。理由の説明はなかったと思います」
食事会場へ行くと、三浦知良と北澤豪の姿はなかった。市川と同じく直前でメンバーから外れた彼らは、すでにチームを離れていた。
「W杯を戦う日本代表というグループは特別な場所ですよね。少なくとも18歳の僕には、そこでまだまだ学ぶことがあると思えた。ここに残って、自分がやるべきことをやろうと。その後、紅白戦をやったとき、僕が入ってちょうど11対11ができたんです。たとえメンバーでなくとも、僕が落ち込んだり、気を抜いたプレーをすれば、これからW杯を戦う選手、グループに迷惑がかかる。本大会を戦う準備をしている選手たちが放つ緊張感のなかで、プレーできる喜びも見つけました。ピッチの外でもやるべきことはあったし、チームのために力を尽くそうという想いで過ごした時間は、それからの自分に必要なものを与えてくれたと感じています」