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サッカー日本代表PRESSBACK NUMBER
「なんで僕が代表に?」17歳でAマッチデビュー…“日本一忙しい高校生”市川大祐がフランスW杯落選を告げられた日「岡田さんは結論だけを…」
text by
寺野典子Noriko Terano
photograph byJFA/AFLO
posted2022/09/25 17:01
1998年フランスW杯で、落選後もチームに残ることを選んだ当時18歳の市川大祐(右)。小野伸二、岡野雅行らとジャマイカ戦の戦況を見つめる
フランスへ入ってから市川の調子が上がっていることは、取材をしていても明らかにわかった。スイスでの様子と比べて、体が軽そうに見えた。
「そうなんです。メンバー発表があった次の日から、本当にキレッキレでした(笑)。当時は『発表がもう少しあとだったら良かったのに。どうして、もう少し早く調子が戻らなかったのか。これなら結果も変わったんじゃないか』って考えましたね。でも、日本へ戻ってから思ったのは、仮に発表が後ろにずれていても、調子は上がらなかったんだろうな、ということ。自分では気付かないけれど、きっとプレッシャーを感じていたんだと思います。知らないうちに背負っているものが、たくさんあったんだなって……」
「誰もいないロッカールームに岡田さんが…」
W杯期間中、市川にはスタッフのAD(入場許可証)が与えられた。“プレイヤー”ではないが、ハーフタイムにピッチでボールを蹴ることも許されていた。
「ピッチには入れるけど、ピッチには立てないという……。その違いの大きさは感じましたね」
それでも市川にとって、フランスは“悲劇的な思い出”ではなかった。4年後を明確に見据えることができたからだ。
「自分がここに残って経験したことを活かそうと考えたとき、4年後に日本でW杯があるわけじゃないですか。そこへの意識はより強くなりました。4年早くチャンスが来たけれど、それを掴み取れなかった。だからこそ、『2002年は必ず』と……。そもそも、日本で開催されるW杯に出るというのが僕自身の夢でもあったので」
1998年6月14日。アルゼンチン戦直前の光景が、今も心に残っているという。
「選手たちがアップでピッチに出ていったあと、誰もいないロッカールームに岡田さんが座っていました。ものすごい雰囲気で、誰も近寄れないような張り詰めた空気を放っていたんです。それを見たときに、監督としてとてつもなく大きなものを背負っているんだなと感じました。今、僕は42歳ですけど、当時の岡田さんは41歳なんですよ。それで代表監督ですからね。最終的なメンバーには選ばれなかったけれど、高校生の僕を呼んだこと、その決断はなかなかできるものじゃないと、自分が歳を重ねるごとに感じます。
僕にとって1998年のW杯は、『呼んでもらった』という感じでした。でも、W杯は呼んでもらう場所じゃなくて、自分で掴み取って立つべき場所だと痛感しましたね」
そして、2002年。W杯日韓大会のピッチに市川は立った。18歳で決意した通り、最後の最後に自らの力で掴み取った切符だった。
<後編へ続く>