- #1
- #2
サッカー日本代表PRESSBACK NUMBER
「なんで僕が代表に?」17歳でAマッチデビュー…“日本一忙しい高校生”市川大祐がフランスW杯落選を告げられた日「岡田さんは結論だけを…」
text by
寺野典子Noriko Terano
photograph byJFA/AFLO
posted2022/09/25 17:01
1998年フランスW杯で、落選後もチームに残ることを選んだ当時18歳の市川大祐(右)。小野伸二、岡野雅行らとジャマイカ戦の戦況を見つめる
練習のグループで先発出場を察し「覚悟を決めないと」
冒頭の1998年3月30日に戻ろう。
「Jリーグで3試合しかプレーしていない選手が、日本代表というグループに入る。そこにいること自体、信じられない感じがありました。もちろん呼ばれたからには試合に出たいという気持ちもありましたけど、先発で出たいとかよりも、まず代表という場に慣れることが先決でしたね。その場にいるだけでも酸欠っぽいというか、息がしづらかったので(笑)。食事のときにテーブルを囲むと周りには、自分が憧れてきた選手がいるわけじゃないですか? エスパルスからは誰も招集されていなかったので、知っている人はU-19で一緒だった小野(伸二)さんだけ。なので、小野さんのあとについていく感じでしたね」
集合日に韓国へ移動して、身体を動かす簡単なトレーニングでビブスが手渡された。同じ色のビブスの選手の顔ぶれに驚いた。
「W杯予選を戦っていた人が周りにいっぱいいたんですけど、『自分が先発グループなんて、まさかだよな』って思いながら1日目が終わりました。でも、蚕室(チャムシル)での前日練習をやったときもグループは変わらないんです。『これは覚悟を決めないといけない』と思いましたね。もちろん、まだ先発とは限らないけれど、その可能性は感じていました」
その夜、コーチから韓国の左サイドバックの選手の映像を見せられた。右サイドバックの市川が対峙する可能性のある選手だ。
「要するに、いいプレーの映像集じゃないですか? こんなに速い選手を相手にやれるのかってビックリするばかりで、対策なんて考えられませんでした(笑)」
試合当日、スタジアムへ向かう前のミーティングで先発が発表される。案の定、そこに市川の名前があった。
「韓国とのアウェイ戦はW杯予選でも見ていたし、特別な相手、特別な場所だと理解していました。その先発メンバーに選ばれた。チームメイトの雰囲気だとか、いろいろ考える余裕もなかったけれど、『来たか……』というふうに受け入れることができました」
韓国戦後に初めて意識したフランスW杯
4月1日、ソウルでの試合に市川はフル出場している。当初は高校生ということもあり、途中交代が想定されていたが、井原正巳の負傷交代もあり90分間ピッチに立った。
「自分のなかではいいプレーができたという感覚はありましたね。自分が持っている力を出せたと。頭が真っ白になって、何やっているのかわからないということはなかったんです。日韓戦という場所に立っていること、それを喜びと感じてプレーできたのは、緊張やプレッシャーをひとつ乗り越えられた証というか……。そこで初めて、フランスを意識しました。W杯という夢が、想像もしないタイミングで目の前に現れたなと」