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佐々木朗希と比べると地味!? 球宴ファン投票1位の“非エリート”阪神・青柳晃洋(28)の出世街道がスゴい「野球が下手くそでサイドスロー転向」
text by
豊島和男Kazuo Toyoshima
photograph bySankei Shimbun
posted2022/07/26 11:05
抜群の安定感を誇るピッチングで、セ・リーグ先発投手部門のファン投票で1位に選出された阪神・青柳晃洋(28歳)。オールスター第1戦の先発を託された
神奈川県横浜市立生麦中学時代は怪我に苦しんだことで主力にはなれなかったが、親から授かった関節の柔らかさと常に前向きな性格で投手として頭角を現し、川崎工科高時代は1年秋から背番号1を背負った。その後、進学した帝京大学でも1年から出場。首都大学野球リーグでは通算37試合に登板して15勝9敗、防御率1.91を誇った。
ただ、アマチュア球界でも決してトップクラスの存在ではなく、当時はまだ隠れた存在。その未完の大器をプロの世界に導いた一人が、当時の阪神監督だった金本知憲である。
「スカウトの方におもしろい素材の投手はいませんか? と聞いたら青柳という名前が挙がった」
ただ、制球力の評価は低く、特に投手の守備面は「プロでは厳しい」という判断だった。しかし、多くの課題がありながらも、「素材」に惚れこんだ指揮官は指名を決断した。
青柳は2015年ドラフトで5巡目で阪神に指名され、晴れてプロの仲間入りを果たした。
10球連続ボール…ほろ苦デビュー戦
入団1年目、16年春季キャンプはファームスタート。待望の一軍初舞台は同年3月5日、ロッテとのオープン戦で中継ぎとして5回から登板。
しかし、プロ初の甲子園のマウンドでいきなり課題が露呈し、初球から10球連続ボール、3連続四球で満塁のピンチを招いた。直後には犠飛とタイムリーを浴びて2失点。
ベンチでは苦しむ姿を見かねた投手コーチが指揮官に投手交代を提案していたが、金本監督は首を横に振り続投を命令。続けて6回のマウンドにも送り出した。すると青柳は、その期待に応えるかのように、別人のような投球を見せて見事に打者3人で抑えた。
初登板の結果は2イニング打者10人に43球を要して、1安打、2三振、3四球、自責2。初めて記録された防御率は9.00だった。数字は散々なものだったが、当時の金本監督はこう語っていた。
「四球を出しても代えようとは思わなかった。落ち着くのを待ってあげようと思った。ボール自体に力はあった。すごくいいボールを投げていた」
ほろ苦いデビュー戦は指導者の愛に救われたのだ。