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ぶら野球BACK NUMBER
3人退場の大乱闘で指2本骨折、落合博満はホメた“最高の外国人”「やっぱりクロマティになれなかった男たち」巨人助っ人“残念伝説”
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph bySankei Shimbun
posted2022/06/01 17:11
1994年に来日したダン・グラッデン。その年5月11日のヤクルト戦で球史に残る“大乱闘”が起きた
惜しむらくは、安定した成績を残した働き盛りの選手にもかかわらず、巨人が好不調の波が激しいことと高年俸を理由に2年契約終了後にあっさり切ってしまったことだ。マックは97年にレッドソックスでメジャー復帰して、60試合の出場ながらも3割を超える打率を残した。ここからしばらく巨人は、自前スカウトの新外国人野手で失敗し続けることになる(来日1年目の規定打席到達は13年のロペス、20本塁打以上は16年のギャレットまで出現しなかった)。
なお、落合は引退直後に出版した自著『野球人』(ベースボール・マガジン社)の中で、ともにクリーンアップを打った背番号12にこんな最大級の賛辞を贈っている。
「巨人時代に一緒にプレーしたシェーン・マックは、私の現役時代に出会った最高の外国人選手と言っても過言ではない。とにかく野球に対して真面目。試合でも練習でもよく悩んでいたが、その悩みのレベルも高く、悩みを解消するのも早かった。どんなに年俸が高くても置いておきたい選手だったが、お金持ちの巨人がなぜ彼を解雇してしまったのか」
ポランコとウォーカーは「クロマティを越えられるか」
90年代中盤から後半にかけて、「クスリとマントは逆から読んだらダメ」とオーナーが嘆いたジェフ・マント、拙守連発の“台湾のイチロー”ことルイス・デロスサントス、ガルベス乱闘騒動での驚愕の表情以外ほとんど記憶にないマリアーノ・ダンカンと新外国人野手を外し続けた巨人は、やがてNPBで実績のある助っ人選手を大金を積んで獲得する戦略へと本格的にシフトチェンジする。
2000年代に入ると他球団で四番を張ったスラッガー、ロベルト・ペタジーニ、タフィ・ローズ、イ・スンヨプ、アレックス・ラミレスらが巨人の主軸を担った。だが、そんなジャイアンツ・バブルも長くは続かない。ライバル球団も複数年契約や国内移籍NGを契約事項に盛り込んで流出を阻止し、大物助っ人選手が続々と巨人のユニフォームを着る時代は、平成後期には終わりを告げる――。
元号は代わり、球界事情も大きく変化した。そして、令和4年の2022年、原点回帰の自前スカウト路線強化へ。オフにFA補強に動かなかった原巨人の外野両翼を担う新外国人野手は、メジャー通算96発で推定年俸2億5000万円のポランコと、大リーグ経験がない元独立リーガーで推定年俸3400万円のウォーカーだ。両者とも守備面は不安が残るものの、いまやそのバットがチームの命運を握っていると言っても過言ではないだろう。
さすがにもうクロウとの比較論が語られることは激減したが、それでも振り返れば偉大な記録が追ってくる。なお、ポランコとウォーカーのどちらかがシーズン30本塁打以上放てば、巨人の自前スカウト外国人選手では86年のクロマティ以来、36年ぶりの快挙となる。
<前編から続く>