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ぶら野球BACK NUMBER
3人退場の大乱闘で指2本骨折、落合博満はホメた“最高の外国人”「やっぱりクロマティになれなかった男たち」巨人助っ人“残念伝説”
posted2022/06/01 17:11
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph by
Sankei Shimbun
「ジャイアンツから選手を獲得した。……ただし、トーキョージャイアンツだ」
1994年に公開されたハリウッド映画『メジャーリーグ2』にはこんな台詞が出てくる。インディアンスに加入したのは、とんねるずの石橋貴明が演ずる日本人選手タカ・タナカ。補強ってサンフランシスコではなく東京のジャイアンツか……という完全に日本球界を馬鹿にしたジョークなのだが、まさか翌年に野茂英雄がドジャースで新人王を獲得し、やがて元トーキョージャイアンツの松井秀喜がヤンキースの四番を打ち、ワールドシリーズのMVPに輝くなんて未来は誰も想像すらしなかった。
そんな日本球界にまだメジャー挑戦が存在しない時代にストーブリーグの風景を一変させたのが、93年から始まったFA制度と逆指名ドラフトである。ミスターの監督復帰1年目を首位ヤクルトに16ゲーム差の3位で終えた長嶋巨人は、そのオフに誕生したばかりのFAで中日から落合博満を獲得する。
【4】グラッデン「球史に残るケンカ屋」
当時、チームは90年限りで退団したクロマティの夢再び……と主軸を打てる新たな外国人選手を求め、ブラッドリー、モスビー、バーフィールドと毎シーズン大物たちに大金をつぎ込むも、それぞれ大きな故障持ちで期待通りにはいかなかった。どうしても未知の外国人選手は当たり外れが大きくリスキーだ。そこでミスターは、すでに40歳だったが、三冠王3度の実績を誇る落合に松井秀喜が育つまでの四番打者を託したのである。
さて、オレ流と同時期に巨人へやってきた新助っ人野手コンビが、ダン・グラッデンとヘンリー・コトーのふたりである。ハルク・ホーガン風の長い金髪がトレードマークのグラッデンは大リーグ11年で通算1215安打、222盗塁。ツインズ時代に2度の世界一経験もある大物外野手だ。『週刊ベースボール』'91大リーグ特集号には、当時34歳の斬り込み隊長グラッデンがワールドシリーズ第1戦で三塁からタッチアップして、相手捕手を後ろに1回転させるほどの強烈なスライディングを見舞い、チームを鼓舞したという記事が掲載されている。
デトロイト・タイガースに所属した93年には13本塁打を放つも、36歳で肩と脚は衰え、メジャーの外野手としてはそろそろ終わりが見えていた。そんなタイミングで海の向こうのトーキョージャイアンツから、年俸1億6000万円の好条件で声がかかった。燃える男・長嶋監督は大人しい選手が多い巨人の雰囲気を変える核弾頭を欲していたのだ。