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ぶら野球BACK NUMBER
3人退場の大乱闘で指2本骨折、落合博満はホメた“最高の外国人”「やっぱりクロマティになれなかった男たち」巨人助っ人“残念伝説”
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph bySankei Shimbun
posted2022/06/01 17:11
1994年に来日したダン・グラッデン。その年5月11日のヤクルト戦で球史に残る“大乱闘”が起きた
『週刊ベースボール』のインタビューでは、開幕前の予想を覆す活躍の理由を聞かれると、「そんなにオレの評価は、低かったのか」と一瞬ムッとしてみせるも、「何でもトライするのがオレのモットー。ジャパンですることはすべて社会勉強だもの」なんて優等生コメント。いったい何にトライしたのかと思ったら、「ホールに入れるのは、ホントに難しいよ。自分の思っているところへ、ボールが行かないんだもの。なかなか勝てやしないよ」って……なぜか野球じゃなくパチンコ必勝法を熱弁。遠征先では開店前からパチンコ店の前で並んで待っている姿も目撃される熱の入れようだ。
日本シリーズでまさかの“2本”
勝負師コトーは夏場に一時失速するも、9月中旬の天王山と言われた広島戦で川口から先制タイムリーと17号ダメ押し弾。シーズンを通して対川口には打率.538、3本塁打と驚異的な強さを発揮した。中日との同率優勝決定戦“10.8”でも一番打者として出場すると、第3打席で相手エース今中にトドメを刺す18号ソロアーチを放ち、チームの勝利に貢献。続く西武との日本シリーズでも貴重な働きをみせる。
シリーズ序盤は音無しだったが、第5戦に鹿取義隆からダメ押しの2ラン。3勝2敗と王手をかけて迎えた第6戦では、五番・コトーが西武先発サウスポー工藤公康を攻略し、第1打席に東京ドームの右翼線を破る三塁打でヘルメットを飛ばし激走。ハイライトは1点差に詰め寄られた8回裏の第4打席だ。石井丈裕からレフトスタンドへライナーで貴重なダメ押しの一発を叩き込み、両手を広げて自軍ベンチに向かって絶叫する背番号53。
まさに長嶋巨人を初の日本一に導いたのは、“左殺し”が右投手からかっ飛ばした2本のアーチだった。テレビ視聴率40パーセント超えが続き、日本中が注目したシリーズでコトーは優秀選手賞を受賞。シーズン成績は107試合、打率.251、18本塁打、52打点だったが、その意外性の活躍はいまだに多くの野球ファンの記憶に刻まれている。
【6】マック「2年8億円の大物なのに…」
しかし、そのコトーもオフには現役バリバリの大リーガー、シェーン・マックの電撃加入に伴い1年限りで退団した。2年契約で年俸総額8億円という巨人史上最高のビッグディールで入団にこぎ着けた超大物である。94年オフはストライキ中のMLBから、フリオ・フランコ(ロッテ)やケビン・ミッチェル(ダイエー)などジャパンマネーと働き場所を求めた現役メジャーリーガーたちが続々と来日することになる。
マックは右肩手術とストの影響でツインズでの前年は81試合の出場ながらも、打率.333、15本塁打、61打点の好成績で四番も打った。84年にはロス五輪のアメリカ代表にも選出され、同年のドラフトでパドレスに1位指名を受けたエリート選手で、来日時のメジャー7年間の通算成績は794試合、打率.299、71本塁打、352打点、80盗塁。脂の乗り切った31歳の外野手である。