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3人退場の大乱闘で指2本骨折、落合博満はホメた“最高の外国人”「やっぱりクロマティになれなかった男たち」巨人助っ人“残念伝説” 

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中溝康隆

中溝康隆Yasutaka Nakamizo

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photograph bySankei Shimbun

posted2022/06/01 17:11

3人退場の大乱闘で指2本骨折、落合博満はホメた“最高の外国人”「やっぱりクロマティになれなかった男たち」巨人助っ人“残念伝説”<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

1994年に来日したダン・グラッデン。その年5月11日のヤクルト戦で球史に残る“大乱闘”が起きた

 当時の巨人はヤクルトから広沢克己とジャック・ハウエルも獲得して、“30億円補強”とマスコミを賑わせていた。なお95年開幕オーダーは「三番・松井、四番・落合、五番・ハウエル、六番・広沢、七番・マック」の超重量打線。いわば95年は平成巨人の終わりなき大型補強時代の幕開けとも言えるシーズンだ。 

カラオケと大相撲にハマる

 来日早々に阪神大震災の被災者に100万円を寄付する心優しきジェントルマンは、実は巨人の長年の獲得ターゲットで、UCLAの学生だった84年には実際に契約の話を持ちかけ、ツインズ移籍前の89年にも巨人入りの可能性があったのだという。

 開幕すると、「打順は制限なくスイングできる三番から六番を打ちたい」という本人の希望とは違う一番で起用されるも、ストレス解消のカラオケにハマり、敵チームのオマリー(ヤクルト)から薦められた大相撲にも夢中になるなど日本生活にアジャスト。1年目は120試合で打率.275、20本塁打、52打点、12盗塁。チームはハウエルがシーズン途中に帰国するなど大型補強がハマらず3位に終わるも、背番号12は走攻守にわたり存在感を発揮した。アメリカで右ヒジや右肩手術を経験していることもあり外野守備のスローイングは不安定だったが、フェンスを恐れないそのダイナミックな外野守備とド迫力のベースランニングのスピードには敵将のヤクルト・野村克也監督も驚くほどだった。

落合博満は「私が出会った最高の外国人選手」

 翌96年になると三番で迎えた開幕戦で3安打猛打賞の好スタート。朝からウエイト・トレーニングを黙々とこなし、時に激しいヘッドスライディングでチームを鼓舞しながら、ファッション誌『MEN’S CLUB』のモデル撮影をノリノリでこなす意外な一面も。落合が故障離脱した9月に三番・松井とコンビを組み、第63代四番打者として“メークドラマ”と呼ばれた逆転優勝に大きく貢献してみせた。

 真面目な性格で、巨人の選手では初めて東京ドームの広告看板直撃弾をかっ飛ばすと、「ビッグボードホームラン賞」のビール1年分のギフト券を裏方に配る心遣いもできるナイスガイ。2年間で通算247試合、打率.284、42本塁打、127打点、24盗塁と往年のクロマティと比較してしまうと物足りないものの、あの秋山翔吾(パドレス)が少年時代に憧れた選手は東京ドームでセンターを守るマックだった。

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