ぶら野球BACK NUMBER

トホホ…巨人助っ人“残念伝説”「クロマティになれなかった男たち」まさかのヒーローインタビュー拒否事件、メジャー本塁打王も1年でクビ

posted2022/06/01 17:10

 
トホホ…巨人助っ人“残念伝説”「クロマティになれなかった男たち」まさかのヒーローインタビュー拒否事件、メジャー本塁打王も1年でクビ<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

1993年に来日したジェシー・バーフィールド。86年にア・リーグ本塁打王を獲得しているだけにその期待は高かったが…

text by

中溝康隆

中溝康隆Yasutaka Nakamizo

PROFILE

photograph by

Sankei Shimbun

 巨人の外国人選手では、ウォーレン・クロマティ以来の快挙。

 2022年になっても、巨人の外国人野手がなにか記録を作ると、いまだにそう紹介されることも多い。今季もポランコの「9打数連続安打・11打席連続出塁」が、88年のクロマティに34年ぶりに並ぶ球団外国人記録と話題になった。

 投手ではガルベス、マシソン、マイコラスと自前スカウトの(日本でのキャリアを巨人から始めた)名助っ人選手も多いが、野手ではクロウ以降は苦労した印象が強い……という恐ろしくベタなギャグがもう30年以上使われているのが現状だ。多くの外国人野手がトーキョージャイアンツのユニフォームを着たが、みんな偉大な過去と比較され苦しんだ。今回はそんな90年代の「クロマティになれなかった男たち」を振り返ってみよう(全2回の1回目/#2へ)。

【1】ブラッドリー「ようやく恋人に会えた気分だよ」

 84年から90年まで7シーズンに渡り活躍したクロマティがついにチームを去り、その代役に注目が集まる中、91年に来日したのがフィル・ブラッドリーである。メジャー通算1058安打は、クロウ来日時の通算1063安打とほぼ同数。右方向へのシュアな打撃を得意とする通称“ミスター・ヒットエンドラン”は、マリナーズ時代の85年には打率3割、26本塁打に22盗塁とシアトルのリードオフマンとして君臨した。同年はオールスター出場を果たし、ベストナインにも選出された大物だ。

 ブラッドリーは、ミズーリ大時代にアメリカンフットボールのクォーターバックで鳴らし、81年の第6回ジャパンボウルでも来日経験のある、高い身体能力を誇るアスリートだった。91年当時のチーム看板スター原辰徳の9400万円を大きく上回る年俸200万ドル(約2億7000万円)の大型契約で実績も申し分なかったが、31歳の外野手は前年の6月と10月に左手首の手術を受けていた。巨人の他にもNPB数球団が調査していたが、その患部への不安から獲得レースを降りたという。 

 当時の『週刊ベースボール』には、リーグV3を狙う藤田元司監督の「何人かいた候補の中で、これぞ取ってほしい選手だったわけだからね。ようやく恋人に会えた気分だよ」なんてブラッドリーへのベタ惚れコメントも掲載。前年の日本シリーズで屈辱の4連敗を喫した“打倒・西武”への切り札として、中日との開幕戦に「三番・中堅」で先発出場した新背番号2は、なんと来日初打席初本塁打の鮮烈デビューを飾る。4月後半には第55代四番打者も経験し、藤田監督が“修行僧”と名付けるほどもの静かな雰囲気と鋭い眼光に髭面がトレードマーク。しかし、だ。その周囲と馴染もうとしない内向的な性格が、やがてムードメーカーだったクロマティと比較されてしまう。

【次ページ】 まさかのヒーローインタビュー拒否事件

1 2 3 4 NEXT
読売ジャイアンツ
グレゴリー・ポランコ
アダム・ウォーカー
ウォーレン・クロマティ
落合博満
バルビーノ・ガルベス
スコット・マシソン
マイルズ・マイコラス
フィル・ブラッドリー
原辰徳
ロイド・モスビー
ビル・ガリクソン
ミッキー・ブラントリー
ジェシー・バーフィールド
松井秀喜
長嶋茂雄
ダン・グラッデン
ヘンリー・コトー
村田真一
西村龍次
中西親志
シェーン・マック
広沢克己
ジャック・ハウエル
野村克也
ロベルト・ペタジーニ
タフィ・ローズ
アレックス・ラミレス

プロ野球の前後の記事

ページトップ