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「バルサの練習に参加できないか」頼んだ相手はまさかの…岩本輝雄が振り返る引退前の仰天エピソード《戦友・森保監督への要望》
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byIchisei Hiramatsu
posted2022/04/08 17:04
度重なるケガにも泣かされたサッカー人生を振り返った岩本輝雄。懸命にリハビリに励んでいた頃、幸運に恵まれた
その後、岩本は予定通りメキシコに渡り、知り合いの紹介でトルーカの練習に参加する。当初はセグンダ(Bチーム)の予定だったが、ここでも持ち前の交渉力を発揮し、プリメーラ(Aチーム)での練習参加を取り付けた。
「そうしたら、いきなり6対6のハーフコートゲームを10本くらいやって。標高が高いから、すごく息苦しい。でも、だんだん慣れたし、標高が高いからボールが飛ぶの。俺、キックは得意だから、全然やれるなって。でも、足首が治りきってないから痛くなってきて」
痛みに堪えきれなくなった岩本は帰国するしかなかった。病院を訪れると、足首に3か所の亀裂骨折が判明した。
04年5月に足首を傷めてからおよそ15カ月。いい加減に完治させなければ、現役復帰の道が断たれてしまう。そこで岩本が頼ったのが、日本代表時代のドクターである武井経憲だった。
「代表時代はすげえ怖いイメージだったんだけどね。長野にいる先生のところを訪ねたら、くるぶしに10ccくらい痛み止めを注射されて、痛みが取れた。患部を開くと、それまでの手術で腱を縫い付けていた糸が腐って固まっていたんだ。『見てみな、肉まで腐っちゃってるよ』って。それを取り除いて終了。それから1週間後に抜糸して、再びリハビリに入って」
500kmを歩く超過酷な旅番組に出演
06年1月から2月にかけては、バルセロナで語学留学を兼ねてホームステイを敢行。現地のおばあさんの家に世話になって帰国すると、岩本のもとにあるオファーが舞い込んだ。
それはサッカークラブからのものではなく、テレビ番組からのものだった。
NHK衛星放送の『東海道五十三次完全踏破 街道てくてく旅』への出演依頼——。
06年4月から2カ月半かけて、約500kmある東海道五十三次を歩くという内容だった。
この過酷な旅番組への出演が、うそのような結末をもたらす。
「歩き終えたとき、痛みがすっかりなくなってたんだよ。足首にまとわりついていたものがどんどん剥がれていく感じがして。最高のリハビリになったんだ」
ついに足首の痛みから解放された岩本は、現役復帰に向けてギアを上げていく。
06年8月にはテストを受けたアビスパ福岡と契約寸前まで漕ぎ着けたものの、直前にスポーツ紙に報じられ、話が流れてしまう。
「困ったなって。せっかく足が治ったんだから、応援してくれている人たちに最後、自分のプレーする姿を見せないと辞められない。それで、もう一度海外だと。前年(05年)にカズさん(三浦知良)がシドニーFCに期限付き移籍をしてクラブW杯に出たから、『これだ!』と。知り合いに自分のプレー集のビデオを作ってもらって、ニュージーランドのオークランド・シティに送ったら、引っかかって」
こうして岩本はオークランド・シティと7週間の短期契約を結び、06年12月に日本で開催されたクラブW杯で2試合に途中出場し、日本のファンに元気な姿を見せる。
そして、大会終了後、スパイクを置いた。
「良いんだか悪いんだか分からないけど、最終的には俺の周りや俺のファンが喜んでくれたんだから、良かったんじゃないかな」