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元日本代表10番・岩本輝雄が語る“94ベルマーレ旋風”…ヴェルディにボコられたJリーグ初陣、実は鹿島ジーコから誘われていた?
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byJ.LEAGUE
posted2022/04/08 17:02
Jリーグ昇格1年目、「湘南の暴れん坊」と恐れられたベルマーレ平塚。その象徴とも言える存在がレフティーの岩本輝雄だった
「前園(真聖)と2人で呼ばれて、ファルカンから『お前たち中心にやっていく。年齢なんて関係ないから、変えていけ』と言われて。でも、前園は活躍したけれど、俺は全然ダメだった。プレッシャーもあったし、当時は水土に試合があって、延長、PK戦まであったでしょ。コンディションも悪かったんだよね。まあ、言い訳になっちゃうんだけど(笑)」
アジア大会ではUAE戦、カタール戦に先発したが、ミャンマー戦から控えに回った。途中出場でゴールを奪ったが、韓国との準々決勝もベンチスタートだった。
「カタール戦では俺のシュートを相手GKが弾いたところからの折り返しを高木(琢也)さんが決めたから、点に絡んではいるんだけど、あまりにミスが多すぎた。だからスタメン落ちは仕方ない。韓国は強かったよ。洪明甫とか黄善洪とか、ベストメンバーだったもんね」
カズのゴールで先制したものの逆転され、86分に井原正巳の起死回生のスーパーロングシュートで追いつく。だが直後、不可解な判定でPKを取られ、ベスト8敗退となった。
ファルカンとの契約は延長されることなく、退任となった。
「時間もないなかで合わせないといけないから、代表って本当に大変だなって感じた。やっぱり期待されていたから、活躍できなかったのは歯がゆいよ。申し訳ない気持ちだった」
結果として、これが岩本にとって最後の日本代表戦となった。
一方、所属するベルマーレには翌95年、のちに日本代表のエースとなる男が加入する。
韮崎高からやって来た、中田英寿だった。
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