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元日本代表10番・岩本輝雄が語る“94ベルマーレ旋風”…ヴェルディにボコられたJリーグ初陣、実は鹿島ジーコから誘われていた?
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byJ.LEAGUE
posted2022/04/08 17:02
Jリーグ昇格1年目、「湘南の暴れん坊」と恐れられたベルマーレ平塚。その象徴とも言える存在がレフティーの岩本輝雄だった
93年5月にJリーグが開幕すると、日本代表人気と相まって、日本は未曾有のサッカーブームに沸いた。
一方でフジタサッカークラブから改名したベルマーレ平塚、日本代表の中山雅史擁するジュビロ磐田、元ブラジル代表エースのカレカをシーズン途中に獲得する柏レイソルは、Jリーグ入りの2枠を懸けて、旧JFLで激しいデッドヒートを繰り広げた。
ジュビロとの直接対決を制したベルマーレが優勝し、94年からのJリーグ入りを決めた。
「でも、この年の俺はケガをしていて10試合くらいしか出てないんだよ。昇格を決めたジュビロ戦のベッチーニョのスーパーゴールも、クラブハウスで見ていたから」
迎えた94年シーズン、ベルマーレはいよいよJリーグの舞台に立った。前年のナビスコカップ参戦や天皇杯での戦いぶりから、すでに岩本と名良橋の超攻撃的サイドバックコンビは知られた存在だった。
記念すべきJリーグ初陣の相手はヴェルディ川崎。Jリーグ初代王者で、カズやラモス瑠偉、武田修宏、北沢豪らを擁するスター軍団に真っ向勝負を挑んだが……。
「1−5で負けて。もうボコボコ。やれるんじゃないかと舐めていたから(苦笑)。バランス、バランスって後ろは言うんだけど、ニカノールが行かないと怒るんだよ。『お前、寝てるんじゃないか?』ってさ」
超攻撃的なスタイルが仇となり、その後も清水エスパルスに1−4、横浜フリューゲルスに1−4、浦和レッズに1−4、鹿島に0−4と大敗が続く。サントリーシリーズ(1stステージ)は22試合で54失点を喫し、12チーム中11位に沈んだ。
湘南の暴れん坊「いいチームだったよね」
しかし、ニコスシリーズ(2ndステージ)では公文裕明を左サイドバック、岩本を中盤で起用。これで攻守のバランスが取れるようになり、ヴェルディをホーム&アウェーいずれも2−1で撃破するなど、ステージ2位に躍進する。
そして、シーズンの締めくくりの天皇杯決勝でセレッソ大阪を下し、初戴冠するのだ。
「いいチームだったよね。ナラ、野口さん、名塚さん、ター坊(田坂和昭)、ノブさん(小島伸幸)、みんな代表になったもんね」
94年シーズンは「湘南の暴れん坊」の異名をとったベルマーレが旋風を巻き起こしたが、その勢力はJリーグのみならず、日本代表にも及んでいた。
その先陣を切ったのが、岩本だった。
天皇杯優勝から遡ること9カ月前の94年4月、嬉しくも驚きの一報がもたらされた。
日本代表、初選出——。