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「態度が大きいだけの女だった」中野友加里36歳を激変させたフジ時代…夫もズバリ「『私、五輪代表です』と言われたら結婚してない」
posted2022/02/17 17:03
text by
秋山千佳Chika Akiyama
photograph by
Yuki Suenaga
その年の4月にフジテレビに入社。現役時代には叶わなかった五輪行きを「記者・レポーター」として果たした。その他にもスポーツ番組の制作などに携わった後に、同社を退職。現在は2児の母として、フィギュアスケート解説者として、そして昨年にはA級審判員の資格を取得して「ジャッジ」への道を歩き始めている。
自らの力で引退後のキャリアも切り開いてきた中野さんに「アスリートの第二の人生」について聞いた(全3回の3回目/#1、#2から続く)。
卒業は難しいと言われて「なんとかします!!」
――中野さんを“キャリア設定”で見ていくと、それまでのアスリートが選択していなかったような道を切り拓いていらっしゃいますよね。2004年には早稲田大学人間科学部eスクール(通信教育課程)に進学、上京されます。
中野 実は、私自身は生まれ育った愛知から出るつもりがなかったんです。ただ、どれだけ練習しても思うような結果が出なくなっていた私を見かねた母が、環境を変えれば伸びるかもしれないと、前年にできたばかりのeスクールの願書を勝手にもらってきたんです。「はい、ここに書いてください」と渡されて(笑)。
――そうでしたか(笑)。村主章枝さんや荒川静香さんなど上の世代の選手は、同じ早稲田でも通信ではなく通学されていましたよね。eスクールは他の学生にノートを見せてもらうこともできないですし、学業と競技の両立が大変だったのではないですか。
中野 本当に苦労しました。ただ自分なりのプライドがあって、大学は4年で卒業するものと決めていました。母からも、4年で卒業できないなら学費は出さないと言われていました。
大学の先生からは「あなたは通う方が楽だったと思うけど大丈夫ですか」と心配されましたが、「なんとかします」と宣言しました(笑)。遠征先でも授業を聞いて、レポートを出していましたね。
――遠征先でも!
中野 苦労はありましたけど、高校までと違って、自分の好きな講義を取れて興味のあることを学べる。勉強の面白さを知ったのは、大学でした。それまではとにかくスケートばかりで、子供に教えられないぐらいひどい成績でした(笑)。
まさかのフジテレビ入社…意外すぎる就活秘話
――後には羽生結弦さんや紀平梨花さんもeスクールを選んでいますが、こうして中野さんがパイオニアになったわけですね。さらには早稲田大学大学院人間科学研究科を修了され、その後の進路でも驚きました。まさかフジテレビとは。採用試験の時、周囲や面接官にも驚かれたんじゃないですか?