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「態度が大きいだけの女だった」中野友加里36歳を激変させたフジ時代…夫もズバリ「『私、五輪代表です』と言われたら結婚してない」
text by
秋山千佳Chika Akiyama
photograph byYuki Suenaga
posted2022/02/17 17:03
進学、五輪落選、就職、結婚、出産、子育て――。元フィギュアスケーターの中野友加里(36)さんが振り返る“スケート人生”とそれから
中野 おっしゃる通りです。社会に出たから学べたことは多かったです。主人と結婚することもできましたし。スケートを続けていたら、態度が大きいだけの女だったと思います。
現役時代の印象について「洗練されていなかった」とも言われました。働く女性って美しくて、キラキラ輝いているじゃないですか。私の入社前はジャージ生活でしたから(笑)。お洋服もそうですが、働く姿勢とか、環境によって磨かれて身についてくるものなので、会社に入ってよかったなと思います。
――仮に五輪に出場できていたら、また違ったかもしれませんね。
中野 主人には、結婚できなかったかもしれないよ、と言われました。「プライドがもっと高くなっていそうだし、『私、五輪代表です』と言われたら結婚しなかった」と(笑)。
「自分にしか聞けないことを聞いてみたい」
――ご主人も言いますね(笑)。でも入社4カ月前までスポットライトを浴びる側にいたのが、裏方へ回ったわけですものね。大きなリンクにたった一人で立ち、360度から視線を浴びる記憶は引きずってしまいそうです。
中野 引きずらないといえば嘘になります。スポットライトを浴びて観客の方から拍手を浴びる達成感があったから、スケートを続けてこられたので。あの素晴らしさは今も忘れていないですが、同時に、いつまでも続くわけではないとも思っていました。
体力を考えるといつかは滑れなくなるかもしれない。だとしたら、劣化した自分を見られたくないというプライドがありました。だから、一般職に就いたんです。
――なるほど。
中野 裏方として仕事をしたいという思いもありました。自分が選手だった立場から、正確ではないと感じた情報もありましたし、選手の心境をもっと引き出したいとか、自分にしか聞けないことを聞いてみたいと。それで、伝える側に回ったんです。
――入社直後は映画制作部に配属されて、2年半ほどして、スポーツ局へ異動されました。「怒られまくった」とのことですが、辞めたくなることはありませんでしたか?
中野 辞めたくなることは何度も何度もありました。どうしても時間が不規則になってしまうこともあって。でも絶対に遅刻しないで、毎日会社に行きました。研修中にある局長が「どんなに辛くても、とにかく会社に来てください。そうしたら何かが変わるかもしれないので」と言ってくださったんです。今はその言葉通りだったと思います。
そういうことを学べたので、いきなりスポーツ局でなくて本当によかったです。ワンクッション置いたことで、改めて見た時にスポーツの楽しさやフィギュアスケートの素晴らしさに気づきました。
五輪に“記者”で…「いざ行ってみると平気でした」
――バンクーバーの4年後のソチ五輪(2014年)では、取材者の立場で五輪会場へ行ったわけですよね。ご自身の中でどんな意味を持ちましたか。