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36歳中野友加里が明かす“運命の五輪選考会を迎えるまで”「いつになったらスケートが楽しくなるんだろうって」〈3歳の長女が登場!〉
posted2022/02/17 17:01
text by
秋山千佳Chika Akiyama
photograph by
Yuki Suenaga
元フィギュアスケーターの中野友加里さんは、バンクーバー五輪代表選考を兼ねた全日本選手権で、わずか0.17点差で代表の切符を逃し、現役を引退した。だがテレビ局社員となって五輪をはじめとするスポーツ取材に携わり、退社後の今は2児の母として、そして審判や解説者、YouTuberとして、活躍の幅を広げている。
自身を「計画通りにいきたい人間」と表現する中野さんにとって、人生の大きな節目となった「バンクーバー五輪を逃したわずか0.17点差」。その前後で中野さんは何を考え、何を決断してきたのか。当時を振り返る(全3回の1回目/#2、#3に続く)。
長女が3歳に「運動神経がなかなか良いんです」
――北京五輪のフィギュアスケートは、どこで、誰とご覧になる予定ですか。
中野 自宅で家族と一緒に、できればライブで観戦できたらと思っています。
――お子さんは、フィギュアスケートはお好きなんですか。
中野 実はそうでもないんです(笑)。私が観るから一緒に観るという感じで。ただ下の子は運動神経がなかなか良いんです。私は走るのはそこそこ速くても球技とかは全然ダメで……でも、この子は教えたらすぐにできます(取材には長女が同席)。
――それは将来有望ですね。今、息子さんが5歳、娘さんが3歳ですか。中野さんがフィギュアスケートを始められたのも3歳ですよね。
中野 そうです。兄がアイスホッケー、姉がフィギュアスケートをやっていたので、末っ子の私も自然とスケート靴を履いて滑りはじめました。母はクラシックバレエや回転の競技に興味があり、子どもが生まれたらモーグルかフィギュアスケートを習わせたいと考えていたそうです。
――モーグルですか。それこそ当時、マイナースポーツだったのでは。
中野 母はスキーを習っていたらしく、雪の上を滑る楽しさを知っていたからかなと思います。だから本当はモーグルをさせたかったそうですが、愛知県には施設がなく、スケートリンクなら隣町にあるということでフィギュアスケートになりました。
私の一番古い記憶は、スケートリンクで母と一緒に練習をしているところなんです。そこから24歳まで、ほぼスケート漬けでした。
15歳で、トリプルアクセルが跳べなくなった
――21年間のスケート人生の幕開けですね。お姉さんと一緒に練習されていたんですか?
中野 そうですね。ただ姉は私が追いついたタイミングで、勉強の方にシフトしました。私が小学校6年生くらいですかね。姉は6歳上なので高校生の時でした。
――えっ、6歳上のお姉さんに小6で追いつくとは、まさに天才少女ですね。