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「私たち…駅伝、出られるの?」からの出発…“長距離部員は3人だけ”地方の公立校がなぜ全国高校駅伝の女王に? 18年前「長野東の奇跡」を振り返る
posted2025/12/21 06:01
昨年の全国高校駅伝で2度目の全国制覇を果たした長野東高校。いまでは駅伝女王となった「普通の公立校」の黎明期とは?
text by

別府響Hibiki Beppu
photograph by
JIJI PRESS
「長野東高校に、玉城さんっていう名指導者が来たみたいだよ――」
今からちょうど20年前の2005年のこと。中学3年生だった小田切亜希は、同じく陸上競技に打ち込んでいた4歳上の姉から、そんな話を聞かされていた。15歳の少女は、初めて耳にするその指導者の名前をふんふんと聞いていた。
「玉城先生」とは現在、日体大の駅伝監督を務める玉城良二のことである。
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当時、玉城は長野県で公立校の体育教諭を務めていた。
1989年から1999年まで諏訪実業高を率いて、都大路に10度出場。一方で、その後は公立校の教員にはつきものである人事異動を受け、他校で2年、県の教育委員会で3年間勤務した。県教委での主な担当は、スポーツ振興や競技力の強化。県下のスポーツ全体を見る立場となり、陸上競技の指導からは離れていた。当時はそこから長野東に赴任したばかりで、中学生だった小田切がその実績を知らないのも無理からぬことでもあった。
「普通の公立校」で全国高校駅伝に行ける?
さて、どうしようか。小田切は、考えた。
小田切は1500mで全中への出場経験があり、全国的には無名とはいえ県内ではトップのランナーだった。一方で、当時の長野東高校は、ごくごく普通の地域の公立校。もちろん陸上部の話など聞いたこともない。果たして、名伯楽が来たからと言って簡単に強くなるものなのか。
ただ、その話を持ってきた姉は、同じ長野県内で強豪といわれる私学で2度、全国高校駅伝を走っていた。
その彼女が言うのだから、信憑性はあるのだろう。姉の応援のために観戦に行ったこともあって、都大路には強い憧れも抱いていた。小田切自身も「どうせやるなら、駅伝で全国の上位を目指したい」という想いは強かった。
そしてもうひとつ、小田切にとって長野東が進学先として好都合な要素があった。それは、シンプルに自宅から近かったのである。自転車で、10分程度で通える立地。その意味でも悪くない進路でもあった。
「そういういろんな要素があって、だんだん長野東もアリなのかなと思うようになったんです」


