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《中日1位指名》大学3年まで無名だったブライト健太(上武大4年)、一塁まで「全力ケンケン」した都立高時代のある試合
posted2021/10/11 18:20
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
2017年4月。
詳しい日付は忘れてしまったが、春のセンバツが幕を閉じてしばらく経った頃、私は神宮第二球場のネット裏記者席にいた。
ここの記者席は日陰を風が吹き抜ける。夏はとてもありがたいのだが、春や秋の天気の悪い日は寒い。季節を一つずらしたぐらいの格好でちょうどよかった。
日大三高を見たかったのと、東京の高校野球にくわしい人から、「都立にちょっとすごいスラッガーがいる」と少し前に聞いていて、その両校が対戦するなら……と足を運んだ。
都立葛飾野高校・ブライト健太外野手。当時のパンフレットで、183cm80kg。胸躍る「数字」の並び。お父さんがガーナの方で、すでに高校通算20本塁打だという。
松葉づえ→一塁まで「全力ケンケン」
どんな野球をするのか……すごく楽しみにして試合開始を待っていたら、スラリとした長身が、松葉づえを突いてグラウンドに現れたから驚いた。
スタンドで応援の部員に訊いたら、2日前に足首にひどいケガをしたという。「なんだ、ブライト健太、見られないのか……」とガッカリしながら、日大三高の一方的リードの展開を眺めていた試合終了直前だ。
志願して、代打で出てきたブライト健太が、バットを杖にして、打席に向かう。片足をひきずって、なんとか打席に入ると、ケガをしている右足を浮かせて、右手一本でバットを構えた。
それで打つのか……一瞬、狂気のようなものを感じた。
投じられたボールを、ブライト健太が右手一本で握ったバットで打った。打球がセカンドの前に転がった。
えっ、でも、ここからどうするんだ! 走れないだろ! そう思った瞬間、ブライト健太が左足の「ケンケン」で一塁に向かって跳んでいったから、たまげた。
カンガルーのように跳んでいく彼の「全力ケンケン」が一塁ベースを跳び抜けるのと、二塁手からの送球がファーストミットにおさまったのは、まさに間一髪の違いしかなかった。