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《中日1位指名》大学3年まで無名だったブライト健太(上武大4年)、一塁まで「全力ケンケン」した都立高時代のある試合 

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安倍昌彦

安倍昌彦Masahiko Abe

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posted2021/10/11 18:20

《中日1位指名》大学3年まで無名だったブライト健太(上武大4年)、一塁まで「全力ケンケン」した都立高時代のある試合<Number Web>

中日から1位指名された上武大学のブライト健太外野手(4年・185cm85kg・右投右打・都立葛飾野高)

「監督さんにムリ言って出してもらいました」

「コールドスコアぐらいに点差も離れてたんですけど、このままじゃ負けられない! なんとかしなきゃ! って気持ちだけだったですね。ケンケンがどうこうじゃなくて、気がついたら、やってました」

 いまは上武大4年生のブライト健太に当時のことを聞くとそう話した。スカッと笑っている普通っぽさが、なんとも「都立」だった。

「そんなに強くない都立だったんで、日大三高と試合してもらえるなんて、ないじゃないですか! 三高のピッチャーのボール、打ってみたくて、監督さんにムリ言って出してもらいました」

 なんとも快活、なんとも天真爛漫。

「でも……」

 と言って、しばらく間があった。

「あの場面を見てくれていた人がいたんですね」

 どこで誰が見てるか、わかんないんだよ。

「ほんとですね、一生懸命やらないと」

 そういうクサいセリフが、まるで嫌みじゃない。こちらの胸にじわっと染み込んでくる。

「同じ野球部でも、ぜんぜん違ってましたから」

「同じ野球部っていっても、高校とは空気感っていうんですか。もうぜんぜん違ってましたから」

 実は、そこをいちばん心配していた。

 楽しく野球をやりたいね、という部員たちが集い、特別な設備も「甲子園が目標!」みたいなモチベーションも乏しい……そんな普通の都立高校の野球部から、全国有数の逸材たちが300人近くも集まって、「全国」「プロ」を本気で頂点をめざす男たちの集団の中に身を投じて、果たして体力的にも精神的にもついていけるものなのか。

「何から何まで、違ってました。ルールの数、きびしさ、意識の高さと野球のレベルの高さ。でも、クリアしなきゃいけないと思って」

 それ以上は語らなかったが、間違いなく過酷だったはずなのに、その表情には「陰り」のかけらも見えなかった。

【次ページ】 大学3年までほぼ出ていなかった「遅れてきた大器」

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