Jをめぐる冒険BACK NUMBER
内田篤人に“イジられた”相馬勇紀は東京五輪への情熱が筋金入り… “高校2年生での東京国体から2021年の肉体改造”までブレなかった覚悟
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byTakuya Kaneko/JMPA
posted2021/07/28 11:05
メキシコ戦では左サイドを駆け抜けた相馬勇紀。三菱養和SC→早稲田大学を経てJリーガーとなり、国内有数のアタッカーとなった
この試合で相馬は開始直後からエンジン全開で暴れ回った。11分にペナルティエリア内で仕掛けてPKを獲得。その後も左サイドから何度も仕掛けた。
相馬がピッチ上でいかに厄介な選手だったかは、メキシコの対応を見ればわかる。相手のタックルによって、いったい何度ピッチを這わされたことか。
守っても自陣深くまで下がって左サイドバックの中山をサポートし、相手の攻撃のキーマンの封じ込めに貢献すると、2点をリードしていた65分、相馬はお役御免とばかりにベンチに下がった。
「僕と薫が今話しているのは、お互いに……」
相馬の務めた左サイドハーフはその後、前田大然、そして三笘薫へと託された。三笘とのライバル関係を煽られることもあるが、継投策について相馬はこう説明する。
「よく薫との関係についていろいろ書かれますけど、僕と薫が今話しているのは、お互いにどっちが出てもタッグでやろうと。僕が最初に出ることになったら、相手の選手が疲れ切るまでプレッシャーに行くし、仕掛け続ける。それでヘロヘロになったときに代わろうって。逆も同じ。そういった話を日頃からしているんです」
まさにメキシコ戦でのプレーは、ふたりの約束事を体現したものだった。
今大会の開幕を迎える直前、相馬はこんなことを言っていた。
「やってきたことは間違っていなかった、過信ではなく自信がある。そういったところをぶつけていきたい」
五輪代表チームに遅れてやってきた“スピードスター”は、今やチームに欠かせない存在となった。グループステージ突破を懸けたフランスとの第3戦でも、キックオフ直後からサイドで暴れ回ってほしい。自身が思い描いたとおり、「優勝する大会」にするために。
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