Jをめぐる冒険BACK NUMBER
内田篤人に“イジられた”相馬勇紀は東京五輪への情熱が筋金入り… “高校2年生での東京国体から2021年の肉体改造”までブレなかった覚悟
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byTakuya Kaneko/JMPA
posted2021/07/28 11:05
メキシコ戦では左サイドを駆け抜けた相馬勇紀。三菱養和SC→早稲田大学を経てJリーガーとなり、国内有数のアタッカーとなった
「自分にとってターニングポイントになる大会」
大学4年時の2018年に特別指定選手として名古屋でJ1デビューを飾った相馬が東京五輪代表チームにようやく招集されたのは、チームの立ち上げから1年半が経過した2019年6月のトゥーロン国際大会だった。
メキシコとの準決勝でゴールを決めるなど、ワイドアタッカーとして爪痕を残した相馬は、代表チームで頭角を現していく。
国内組中心の編成でタイに乗り込んだ2020年1月のU-23アジア選手権では、プレシーズンということもあり、チーム全体の動きが重いなか、一瞬のスピードで相手を振り切り、ゴール前に何度もボールを放り込む。相手との1対1の勝負をほとんど制した突破力は、見ていて頼もしい限りだった。
その大会後、相馬は東京五輪について、きっぱりとこう宣言した。
「自分にとってターニングポイントになる大会だと思います。もちろん出たい想いもありますけど、それ以上に、優勝しよう、優勝したいというか、優勝する大会だと思っています」
オリンピックの選手登録人数はわずか18人(東京五輪は大会直前に22人に変更)。オーバーエイジを除くと15人。その多くが海外組となることが予想され、国内組で選出されるのはおそらく5、6人だろうか。U-23アジア選手権に出場した選手の多くが、その枠に入ることを目指すなかで、相馬は五輪本大会での優勝を目標にしていた――。
どおりでパフォーマンスが際立っていたわけだ。そもそもの覚悟が違ったのだ。
諦めずにやり続けていれば夢や目標は叶うんだよ、と
東京五輪の1年の延期を経て、今年3月のアルゼンチン戦、6月のガーナ戦、ジャマイカ戦での活躍が実り、相馬は大舞台でプレーするチャンスを掴み取った。
「最後の18人に絶対に入ってやるんだと思って、毎日毎日積み重ねて目指していた舞台。僕は代表に入ってこなかった中での選出なので、諦めずにやり続けていれば夢や目標は叶うんだよ、ということをいろいろな方に伝えたいと思います」
南アフリカとの初戦で流れを変えるカードとして途中出場して五輪デビューを果たし、いよいよスタメンのチャンスが巡ってきたのが、メキシコとの第2戦である。