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“ドーハ組”井原正巳が選ぶ日本代表史上最高のセンターバックは誰?「冨安健洋には“この3人”を追い抜いて欲しい」
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byJIJI PRESS
posted2021/03/25 11:03
93年10月、アメリカW杯最終予選イラク戦のスタメン。右から森保一、堀池巧、井原正巳、松永成立、柱谷哲二
井原 そうですね。(マツダが1部に昇格した)JSLの最後のシーズン(1991-1992シーズン)に(日産自動車として)対戦したはずなんですけど、覚えてなくて(笑)。だから、初めて知ったのは代表のときです。この選手は誰だろうって。
――都並敏史さんでしたか、「森保一」を「もりやす・はじめ」ではなく、「もり・やすかず」だと思っていた、というエピソードがありますが、それも大袈裟ではなかったんですね。
井原 本当にそんな感じでしたね(笑)。
――一緒にプレーした際の印象は?
井原 とにかく気が利くというか、危機察知力が高くて、危険なエリア、空いたスペースをすぐに埋めて、ゲーム終盤でも献身的にハードワークをして。こんな選手がいたのか、と驚かされました。ヨーロッパのチームと対戦しても、大柄な選手に物怖じせずに身体を張りに行くんですよ。だから、よくケガもしていたんですけど(笑)、凄いなと。普段は真面目で優しい人間なんですけど、ピッチではタックルとかコンタクトのところでビビることなく向かっていくタイプで、後ろから見ていて本当に頼もしかったですね。
森保さんが活躍した代表戦といえば…?
――当時の代表チームはカズさん(三浦知良)、ラモス瑠偉さん、柱谷哲二さん、福田正博さん、ゴンさん(中山雅史)、北澤豪さん……と個性派集団でした。そんな中にポンと入れられて、やはり森保さんは遠慮気味だったんですか?
井原 そんなに遠慮はしてなかったんじゃないですか(笑)。実際のところは分からないですけど。ラモスさんとか、哲さんの意見を聞き入れながら、自分のプレーも貫きながら、うまくやっていたと思います。要はクレバーなんですよ。あと、そうした先輩たちからゲームの肝、マリーシアなんかも学んで、締めるところは締めるというか、勝つために必要なちょっと汚いプレーを飄々と行う、いい意味でのしたたかさも身に付けていったと思います。
――森保さんが活躍した試合で最も印象に残っているゲームは?