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伝統業を営む両親の背中を見て…日本ハム4位細川凌平の「覚悟」がすごい! 小学生で“高卒プロ”を決めた理由
text by
米虫紀子Noriko Yonemushi
photograph byNoriko Yonemushi
posted2021/01/30 11:02
栗山監督直筆の「共に天下を」というメッセージを手に意気込みを語った細川凌平。小さい頃から憧れ続けたプロ野球の舞台でどんなプレーを見せるか
野球チームに入ったのは小学2年の冬。中学では京都東山ボーイズに入団し、ボーイズ日本代表に選ばれて世界大会で優勝した。高校進学時はさまざまな強豪校から声がかかったが、「高卒でプロ」という目標をかなえるために、プロ経験のある中谷仁監督(当時はコーチ)の指導を受けることを選んだ。
入学後は1年の春季大会から試合に出場し、1年夏の甲子園でも打席に立った。1年秋に中堅手のレギュラーをつかみ、2年秋に遊撃手に転向した。
細川の魅力は50メートル5秒8の俊足や、パンチ力とうまさを備えた打撃、スピードと身体能力を活かした守備などプレー面はもちろんだが、高校時代に取材して一番感じたのは、気持ちの強さだった。
「特別な代だとは、あんまり思われたくない」
主将として過ごした高校最後の1年は、コロナ禍に見舞われ、春・夏ともに甲子園は中止となった。チームとして目標に掲げていた“日本一”に挑むチャンスがなくなり、細川自身の5季連続甲子園出場もかなわなくなった。高卒プロ入りのためのアピールの場も激減した。どれほどの絶望感だったかは計り知れない。
だが細川はこう語っていた。
「特別な代だとは、あんまり思われたくない。コロナでかわいそうな代とか……。そんなのは、全国民一緒なので、今年は。自分自身もチームも、コロナがあったからやる気をなくしたとか、日本一を目指せないから真剣にやらないとか、そういうことではいけないと思うし。和歌山は代替大会の舞台を用意してもらえたので、もう日本一はなくなりましたけど、和歌山で優勝するってことは実現できる。自分たちはまだ何も成し遂げていないので、強い智弁和歌山を終わらせないためにも、最後に圧倒的に和歌山で優勝して終わりたいなと思います」
その言葉の通り、最後の夏の和歌山大会を制した。