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「鹿島の2番」へ常本佳吾の挑戦。
明治大SBの理想はラームの万能性。 

text by

安藤隆人

安藤隆人Takahito Ando

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photograph byTakahito Ando

posted2020/07/29 11:30

「鹿島の2番」へ常本佳吾の挑戦。明治大SBの理想はラームの万能性。<Number Web> photograph by Takahito Ando

来季、鹿島アントラーズへ加入が決まったDF常本佳吾。明治大では長友らが背負った「2番」を背負う。

アントラーズの2番といえば……。

 そんな折、新たな目標が生まれた。内定した鹿島から声を掛けられた時、すぐに「アントラーズの2番」を背負う姿をイメージした。

「鹿島が自分に興味を持ってくれていることを知った時に、『鹿島の2番』への憧れが一気に湧き出たんです。鹿島の2番と言えば、名良橋晃さんと内田篤人選手の名前が真っ先に浮かぶ。名良橋さんは日本のサイドバックの概念を変えた偉大な存在で、守備のうまさと運動量はもちろん、ゴールに直接絡むこともできる。内田選手はもう説明不要の世界的なサイドバックですし、鹿島の象徴的な選手。僕なんかがおこがましいのですが、内田選手は憧れであり、尊敬する存在であるからこそ、絶対に超えたい存在でもあるんです。本気で『鹿島の2番』を取りに行きたいと思えたんです」

 常本のもとには、横浜FMからもオファーが届いた。愛着のある古巣であるがゆえに、決断は簡単ではなかったが、最後は練習には一度も参加していないながらも、自分の将来像がより具体的になった鹿島からのオファーを受ける形となった。

「鹿島の右サイドバックとして、将来は2番を背負える選手になりたい。そのためには鹿島だけじゃなく日本全体が認めるような存在にならないといけない。かなり険しい道ですし、プレッシャーの大きいことはわかっている。生半可な努力や覚悟ではできないことだからこそ、それを成し得た時に自分の可能性が大きく広がると思ったんです。そこで自分が望む道に進むことができるし、そのための壁が高いのは当たり前のことだと思っているので。だから鹿島に決めました」

思い出した先輩・遠藤渓太の覚悟。

 なりたい自分になるためには、目標を明確にし、本気でその道を突き進むこと。それを一番教えてくれたのは横浜FMユースの1学年上の先輩である遠藤渓太だった。

 高1年時からレギュラーだった常本に対し、遠藤がレギュラーの座を奪ったのは高3から。常本は右サイドでコンビを組んだ遠藤を「ドリブルは凄いけど、引き出しが少ない印象がありました」と語るほど、大きなインパクトを残せていなかった。ところが、その遠藤は夏の日本クラブユース選手権(通称・クラセン)で大ブレイク。得点王とMVPを獲得し、当落線上だったトップ昇格を手にした。

「大会前に渓太さんはトップ昇格について『クラセンを見てから決める』と告げられていて、本人も『この大会で人生が変わる』と話していたことを覚えています。大会直前の覚悟がこれまでとまったく違って、自分の武器をフルに発揮する気迫というか、本気度が凄まじかった。後輩の僕が言うのはおこがましいですが、自分と真正面から向き合っていて、サッカーに対する考え方が一気に変わった。初戦で活躍してからは驚くほどのスピードで自信をつけて急成長していったんです。うまくなったというより、存在感が違った。プロフェッショナルそのものでした。

 当時は何となく『渓太さん凄いな』と思っていたのですが、大学の1年を経験して、あの時の渓太さんの姿勢への見方が変わった。覚悟の違いだったり、本気度によって人はここまで変われるんだなと気づかせてくれたんです」

【次ページ】 「鹿島のサイドバック」への挑戦。

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