JリーグPRESSBACK NUMBER
横浜フリューゲルス、最後の2カ月。
楢崎正剛「優勝より寂しさの方が」
text by
川端康生Yasuo Kawabata
photograph byShinichi Yamada/AFLO SPORT
posted2020/05/02 08:00
天皇杯で有終の美を飾った横浜フリューゲルス。喜びと切なさが交錯する中、若き日の遠藤保仁、三浦淳宏らの姿も懐かしい。
「合併?」ときょとんとした。
「フリューゲルスとマリノスが合併するよ」
そう耳にしたとき、きょとんとした気がする。合併? あまりに唐突な単語に反応できなかったのだ。しかし電話の相手は経済部らしく端的に伝えた。
「ゼネコン不況で経営難の佐藤工業が撤退する」、「全日空も単独でサッカーチームを支えられない」、「代わりのパートナーを探したが、見つからなかった」、「そこで横浜をホームタウンとするマリノスとの合併案が浮上した」、「やはり経営危機の日産自動車にとっても渡りに船だった」、「全日空と日産で合意」……。
それが事態のあらましだった。
「(子会社の)両クラブ社長を通じてJリーグにも通知済みらしいよ」
そう付け加えて電話は切れた。1998年10月28日の夜のことである。
翌日、あっという間の既成事実。
翌29日、悲劇はあっという間に既成事実になった。
朝刊が一斉に「合併」と「消滅」を報じている。東京へ戻る新幹線の電光ニュースにも<横浜フリューゲルス、横浜マリノスに吸収合併>。
東戸塚のクラブハウスでは選手たちも、その日の午前、フロントから「合併」を伝えられた。寝耳に水だった。チームがなくなる? 自分たちはどうなるのか? 驚きと不安の中、突然の一方的な通告にフロントへの不信感を募らせることになった。
しかも事態は急速に進展した。同日午後、Jリーグが緊急理事会を開き、そこで合併が承認されたのだ。
夕方、行われた記者会見では、新たなチーム名が「横浜F・マリノス」となること、新会社は来年2月1日に発足し、その出資比率は日産70%、全日空30%であることなどが早くも発表された。
その日の夜、サポーターの代表者たちが、フリューゲルスの運営会社である全日空スポーツに呼ばれ、説明を受けた。渡された紙には<新クラブへも倍旧のご支援・ご声援をお願いします>と書かれていた。報道を目にしてからまだ半日しか経っていなかった。もちろん納得できるはずがなかった。
そこから選手たちとサポーターの「しんどい」戦いが始まった。