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横浜フリューゲルス、最後の2カ月。
楢崎正剛「優勝より寂しさの方が」
text by
川端康生Yasuo Kawabata
photograph byShinichi Yamada/AFLO SPORT
posted2020/05/02 08:00
天皇杯で有終の美を飾った横浜フリューゲルス。喜びと切なさが交錯する中、若き日の遠藤保仁、三浦淳宏らの姿も懐かしい。
発表後初のホーム戦で7-1大勝も。
横浜国際競技場に「合併反対」のシュプレヒコールが響いていた。
10月31日、合併発表から2日、初めてのゲームが行われたのだ。セレッソ大阪と対戦したフリューゲルスは吉田孝行がハットトリック、永井秀樹が2ゴールを挙げ、山口もオーバーヘッドを決めるなど7得点を奪い、大勝した。
しかし、選手たちはまだショックの中にいた。ミックスゾーンで取材を受けながら涙をこらえ、言葉を詰まらせる選手さえいた。
試合後、全日空スポーツの社長がゴール裏スタンドに現れ、サポーターの前に立った。
「現在の経済状況の中、オーナー2社とも厳しい。運営を任されている全日空スポーツとして努力してきたが……サポーターのみなさまには大変な裏切り行為になってしまい、申し訳なく思っています。これは私ひとりの責任です」
たぶん経緯を説明して頭を下げるために来たつもりだったと思う。しかし……。
「私たちの希望はチームを残すこと。それだけです」、「サッカーチームは一企業のものではないはず。私たちを無視して決めてほしくない」、「おまえじゃ話にならない。本社の人間を連れてこい」、「サポーターや選手の承諾なしに売ったんですよ、あなたたちは」、「何も全日空に支援してくれとお願いしてるわけじゃありません。せめてフリューゲルスを置いていってください」、「チームはおまえらのものじゃないんだ」……。
サポーターからの、時に怒鳴り声の、時に涙交じりの訴えが途切れることなく続き、引き上げることができなくなってしまうのである。
夜8時から翌朝7時までの“団交”。
結局、夕方5時半から始まった話し合いは、10時のスタジアム閉門時刻になっても収まりがつかず、競技場外の西ゲートに場所を移して続けられ……。ようやく散会したときには午前3時を過ぎていた。
さらに2日後、11月2日にも徹夜の“団交”は行われた。このときはサポーターからの要求で、親会社である全日空と佐藤工業からも担当者が出席したが、夜8時から始まった交渉は翌朝の7時まで続いたのだ。
夜を徹しての話し合いを終えたサポーターたちはそのまま広島へ向かった。この日、サンフレッチェとのアウェイゲームがあったからだ。
そんな彼らに報いるようにチームも勝利を飾る。久保山由清、レディアコフのゴールで2対1。これで2連勝だった。