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横浜フリューゲルス、最後の2カ月。
楢崎正剛「優勝より寂しさの方が」
text by
川端康生Yasuo Kawabata
photograph byShinichi Yamada/AFLO SPORT
posted2020/05/02 08:00
天皇杯で有終の美を飾った横浜フリューゲルス。喜びと切なさが交錯する中、若き日の遠藤保仁、三浦淳宏らの姿も懐かしい。
負けたら本当の終わりの天皇杯。
しかし、届かなかった。12月2日、両クラブの合併が正式に調印されたのだ。
このときも不意打ちだった。サポーターたちは怒りに震えながら全日空本社に押しかけた。東戸塚のクラブハウスではエンゲルス監督が「驚きと怒りでいっぱいだ。また何も知らされなかった。我々の気持ちを無視している」と憤りを露わにした。
これでフリューゲルスの消滅は動かしようもない事実となった。
最後の戦いが始まったのは12月13日だ。負けたら終わり、その瞬間に本当の終わり。フリューゲルスにとってそんなトーナメントだった。
初戦の相手はJFLの大塚。しかし2度にわたって追いつかれる苦しいゲームとなった。選手の動きも重かった。それでも後半2得点を加えて4対2で何とか勝利をもぎ取った。
続くヴァンフォーレ甲府戦は雨のゲームになった。前半はスコアレスだったが、後半佐藤尽と吉田の2得点で勝った。これでもう1試合戦える。
だがその次戦・準々決勝の相手はジュビロ磐田だった。この年ファーストステージ優勝。得点王とMVPに選ばれた中山雅史をはじめ、ベストイレブンに6人が名を連ねる最強チームだった。
さらに中3日で行われる準決勝では、そのジュビロを下して年間チャンピオンになった鹿島アントラーズとの対戦が濃厚。いつ終わりが訪れても不思議ではない状況だった。
磐田と鹿島を撃破、そして決勝。
だが、フリューゲルスは勝ち続けた。ジュビロ戦では同点で迎えた77分、吉田が決勝ゴールを決めた。吉田は、合併発表後、実に11得点。奇跡の快進撃の立役者となった。そしてアントラーズ戦では、その吉田のアシストから永井が目の覚めるようなボレーでJリーグ王者を破った。
そして――1999年元日、快晴の国立競技場で、決勝戦のピッチに立ったのだ。
エスパルスに先制を許し、久保山の得点で同点に追いついて迎えた後半、“最後のゴール”を決めたのはやはり吉田だった。
合併発表直後には、「この先、サッカー続けていけるかわからない不安もあるし、何よりこのチームで続けられるなら、その可能性があるのなら、何とかしたいけど……」と曇った表情で語っていた。
しかし、すべてをやり尽くしたストライカーの顔には、清々しい笑顔があった。
「このチームで過ごした4年間、その思いを全部ぶつけました」