“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
J8クラブ渡り歩いた“調子乗り世代”。
満了宣告も、希望溢れる第二の人生。
posted2020/03/08 11:50
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph by
Yu Hasegawa
プロサッカー選手・長谷川悠はこの瞬間に人生の岐路に立たされた。
昨年12月上旬。V・ファーレン長崎との契約交渉の場で、「契約満了」になることを告げられた。
「ショックはありませんでした。正直、自分の年齢とか出場数を考えると(満了の)可能性はあるなと思っていました。監督のイメージにフィットしていなかったのも感じていたので、その宣告は仕方がないのかなと」
1987年山梨県生まれ。今年で33歳。内田篤人、槙野智章らと同じ“調子乗り世代”だ。高校は地元を離れ、名門・流通経済大柏に進学。2006年に柏レイソルでプロキャリアをスタートさせた。
187cmの長身を生かしたゴール奪取が魅力のストライカーは、そこからFC岐阜、アビスパ福岡、モンテディオ山形、大宮アルディージャ、徳島ヴォルティス、清水エスパルスとJリーグを渡り歩いてきた。昨季在籍した長崎で満了が伝えられた2カ月半後、彼はオーストラリアにいた。
さすらいの点取り屋は、ニューサウスウェールズ州イラワラ地域の独立リーグであるウロンゴン・オリンピックへの入団を決めた。
キャリアに悩む一方、身体は動く。
「5年前くらいから怪我が多くなって、なかなか試合に絡めなくなった時に、将来に対する不安が増えてきた。どうすればいいのかを考えながらやっていたんです」
このままでいいのか、いつまでプロサッカー選手を続けられるのか、他のことにもチャレンジしたほうがいいのか。セカンドキャリアを考える中で、自分が進むべき道を見出せずにいた。
葛藤が続く中でも、長谷川はプロとして新しい取り組みを取り入れていたという。まずは怪我をしない身体を作るべく、食事面を抜本的に見直して自然食などを摂取。さらにトレーニングにヨガを取り入れて、姿勢や所作にまで意識を巡らせる。体重を3キロ絞ったことで、徐々にフィジカルコンディションは向上した。
「大宮、徳島でプレーしていた時の怪我が多い自分よりも、練習中に走れたり、身体のキレや感覚など、着実にコンディションが上がっている手応えが生まれてきた」