欧州サッカーPRESSBACK NUMBER
欧州挑戦するサッカー選手と語学問題。
中山雄太はどう克服し、試合に出たか?
posted2019/08/20 11:40
text by
本田千尋Chihiro Honda
photograph by
Getty Images
「甘かったなあ」
中山雄太は、はにかんだ。
「準備はしていたんですけど、ちょっとその部分に関しては、舐めていた自分に対してすごくこう、物申したいっていうのは……今、感じますね」
2019年の初夏、酷暑に覆われたオランダの小さな街、ズヴォレ――。
冷房の効いた小綺麗なホテルの一角で、1人の日本人青年が、リラックスした表情で日本にいた頃の「舐めていた自分」を振り返った。
およそ半年前の1月14日、柏レイソルは、中山雄太のPECズヴォレへの完全移籍を発表。PECズヴォレはエールディビジ、つまりオランダ1部リーグに所属する中堅クラブだ。当時の監督は元オランダ代表のヤープ・スタム(現フェイエノールト監督)。現役の頃と変わらないスキンヘッドの風貌の指揮官は、意気揚々とオランダの片田舎にやって来た中山に、しっかりと「壁」を用意した。21歳だった日本人選手は、PECズヴォレの一員としてエールディビジの試合に初出場するまで、およそ2カ月半の時間を要したのである。
「家に帰っても、そのことばかり考えていました」
なぜ試合に出場することができないのか。スタム前監督が築いた「壁」を前に、中山は、考えざるを得なかった。
「どうすれば試合に出られるのかっていうのを、サッカーから離れても、考えていましたね。家に帰っても、そのことばかり考えていました。試合に出たら通用する自信はあったんですけど、そこまでに至らないのは何なんだろうっていうのを、すごくこう……考えていましたね」
目の前にありながら、届きそうで届かないエールディビジの舞台。試合に出場することができないオランダの冬の日々が続いた。だが、不安はなかったという。
「現状に対して悲観的になるっていうよりも、一度も試合に出れずにシーズンを終わらせることだけは絶対嫌だっていう気持ちで、パワーに変換していました。その反骨心が、この出られない状況で何をすればいいんだ、っていう考えに繋がっていくんですけど」
もっとも、“課題”は明らかだった。
スタム前監督は、中山に対して「コミュニケーション」を要求したという。
スキンヘッドのオランダ人指揮官は、エールディビジの試合に出るにあたって、中山の実力は申し分ないと考えていたそうだ。しかし、「コミュニケーション」の部分がマイナスの評価だったという。