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由伸巨人は革命的に面白かった。
ありがとう、またいつか必ず。 

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プチ鹿島

プチ鹿島Petit Kashima

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photograph byKyodo News

posted2018/10/06 10:00

由伸巨人は革命的に面白かった。ありがとう、またいつか必ず。<Number Web> photograph by Kyodo News

3年間の監督生活は、高橋由伸にとってどんな時間だったのだろうか。また現場に戻ってきてほしい。

“仇敵”さえヨシノブを支える姿勢を問う。

 さらに興味深い記事も紹介しよう。今年巨人から“出禁”を食らっていたという夕刊フジの記者が書いた「前略、高橋由伸様」(10月4日発行)には、

「耳の痛い助言もひるまずできる人材を球団が配置してやるべきだった」

「無理を言って監督を引き受けてもらったのに、十分に支えてあげなかった球団や親会社に、一番の責任があると思っています」

“仇敵”でさえ高橋由伸本人よりヨシノブを支える姿勢を問うていたのだ。

ここで、もう一度思い出してみよう。

 そういえば夕刊フジと言えば、高橋監督の最初のシーズン前に印象に残る記事があった。

 開幕まで1カ月を切った2016年3月8日。あの頃巨人を揺るがしていた野球賭博の関与者がまたも発表された。巨人はオープン戦で福岡遠征中。報道陣に問いかけられた高橋監督は「何もないよ」とコメントする。ソフトバンクの王球団会長や他球団の監督のコメントがきちんと出る一方で、当事者としてそっけない言葉に受け取られた。

「新指揮官が現場の指揮で手いっぱいなのは仕方ないとして、球団側が取材対応の段取りをつけるなど未経験の役割をフォローすることはできたはず。だが広報機能の大半が東京の球団事務所に集中し、現場までは行き届かなかったようだ。」(夕刊フジ・2016年3月10日発行)

「現役続行への強い思いを断ち切らせ、一度も外から巨人を見ることもなく、本格的な指導者経験もないまま指揮官に就任させた経緯を考えれば、球団が高橋監督の船出をしっかりと支え守る体制が不可欠といえる。」(同)

 高橋由伸は、福岡で一人ぼっちだった。記事のタイトルは『由伸監督 不憫すぎる船出』であった。

 ここで、もう一度思い出してみよう。なぜ高橋由伸は巨人の監督になったのか?

 そもそも前任の原辰徳監督から一気に若返りしたのは、球団の「意地」だった。

「2006年から、10年間の長期政権を築いたのが原前監督。その輝かしい実績によって指揮官に集中した権限を、球団の手に戻す一手として、白羽の矢を立てたのが高橋監督だった。」(東京中日スポーツ10月4日)

【次ページ】 「新人・由伸」はドキュメントだった。

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