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由伸巨人は革命的に面白かった。
ありがとう、またいつか必ず。 

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プチ鹿島

プチ鹿島Petit Kashima

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photograph byKyodo News

posted2018/10/06 10:00

由伸巨人は革命的に面白かった。ありがとう、またいつか必ず。<Number Web> photograph by Kyodo News

3年間の監督生活は、高橋由伸にとってどんな時間だったのだろうか。また現場に戻ってきてほしい。

「新人・由伸」はドキュメントだった。

 しかし各紙の記者たちの目には、ヨシノブはうまくサポートされていなかったという3年間。その結果が「原復帰」である。

 つまり「球団はわずか3年でフロント主導で進めてきたチーム再建を諦めたということになる。」(東スポ)。

 このビジョンのなさは一体何なのだろうと思う(それにしてもこういうときの東スポのシビアな切れ味は相変わらずだ)。

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 さて、私は高橋監督の最初の年にNumberWebで「2016年の高橋由伸」を連載した。いまいちばん未完成で不安定で一寸先がどうなるかわからないものは何だろうと考えたら、高橋由伸しかないと思ったのだ。

 やり手の原監督より、予測不能の由伸巨人のほうが面白いと感じた。未完成なアイドルを応援する人の気持ちがわかった。「新人・由伸」を観ることはドキュメントであると気づいた。

高橋由伸のおかげでご飯が食べられた日々。

 高橋由伸には恩返しもしたかった。

 私が芸人として新人のころ、1999年にある仕事がまわってきた。リアリティーショーを地でゆく番組の「新・熱狂的巨人ファン」という企画に抜擢されたのだ。「拉致された」といったほうがいいかもしれない。

 その番組企画はペナントレースの半年間をテント生活し、巨人の試合を観て応援するだけの生活。巨人が負けたら絶食し、もし優勝したら名前と顔がテレビで発表される。それまで顔にはボカシが入る。

 その年は星野中日が開幕から独走し、巨人は夏場から猛追。2年目の高橋由伸が面白いように打った。軽やかに初球からポンポン打ち返す。由伸のおかげで文字通りメシを食えた。

 天王山といわれた9月14日のナゴヤドームでの中日戦で、由伸は大飛球を追ってライトのフェンスに激突し骨折する。巨人の優勝も、私の任務も、この瞬間に終わった。それほど彼のシーズン離脱は衝撃的だった。

 あのとき、高橋由伸を最後まで応援したかった。最後まで観たかった。唯一の心残りだった。

 それなら!

 巨人の監督という重荷を選択した高橋由伸を応援しないでどうするのだ。「2016年の高橋由伸」を観ないでどうする。そんな気持ちから半年間の連載をやらせてもらった。

【次ページ】 今年の巨人の面白さは革命的だった。

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