- #1
- #2
スポーツ・インテリジェンス原論BACK NUMBER
中日・高木守道が“涙の謝罪”「長嶋さん、申し訳ありません…」長嶋茂雄“あの引退試合”ウラ側…元フジテレビアナが見た「長嶋さんの予想外だった行動」
posted2025/06/19 11:01

1974年10月14日、引退セレモニーで涙を拭う巨人・長嶋茂雄(当時38歳)
text by

生島淳Jun Ikushima
photograph by
KYODO
◆◆◆
「じつは南海に決まっていたが…」
「長嶋さんは、日本の野球を劇的に変えた人でした」
そう話すのは、フジテレビ、WOWOWでスポーツ実況を務めた岩佐徹さんだ。
ADVERTISEMENT
「長嶋さんは1936年の早生まれ。私は1938年生まれですから、長嶋さんの活躍をリアルタイムで追いかけることが出来ました。幸せなことでしたよ。まず、長嶋さんは東京六大学野球の人気をグンと上げました。当時の六大学はプロ野球以上の人気を誇っていて、それはすごいものでした。とはいっても、実のところは戦前から続く“早慶”人気だったんです。それを立教の長嶋さんは、通算8号の本塁打記録を樹立した。当時の日本では大ニュースでした」
そして長嶋は1958年に巨人に入団する。
「南海に決まっていたのを巨人がひっくり返した……ということはずっと言われていました。六大学の大スター、長嶋さんが巨人に入ったことで、プロ野球人気に火がつき、視聴率は軒並み20パーセント、時には30、40パーセントを超えるほどの人気を博すようになります」
「30歳が近づくにつれ、いい顔になった」
岩佐さんがフジテレビに入局したのは1963年。慶応義塾大学放送研究会出身の青年は、プロ野球を担当するようになる。
「今もフジテレビONEで『プロ野球ニュース』をやっていますが、第一期の『プロ野球ニュース』は1964年から放送が始まりました。それまでのスポーツニュースといえば、各局とも巨人戦だけを2、3分のダイジェストで流すだけでしたから、試合の流れを追う『プロ野球ニュース』は画期的だったと思います。当時はビデオもありませんから、試合を終えて帰宅した監督、コーチ、選手たちがみんな見てくれるんですよ。それで現場でも私を認識してもらえるようになりました」
ただし、フジテレビは後発局。日本テレビとのつながりが強い巨人の取材となると難しい面もあった。