サッカー日本代表 激闘日誌BACK NUMBER
ジャーナリスト二宮寿朗が目撃した激闘の記憶
posted2018/03/30 10:00
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph by
KYODO
アジアカップ中国大会ベスト8(重慶オリンピックスポーツセンター)
日本 1-1 ヨルダン(PK戦4-3)
あれほどのブーイングは、いまだかつて聞いたことがない。
君が代が流れても、日本がボールを持っても、それは地鳴りのような響きでピッチの日本代表に向けられた。
2004年7月から中国で開催されたアジアカップ。グループステージの舞台となった重慶は旧日本軍が爆撃を行なった歴史的な経緯から反日感情が根強い地域とされる。日本の対戦相手に拍手と声援が送られ、「招かれざる客」には罵声が注がれた。加えて、うだるような暑さだ。夏の重慶は「中国三大かまど」の一つとして知られ、記者席でノートに記したメモが汗であちこちにじんだのを覚えている。ブーイングと熱がうずまくピッチで戦うことが、いかに過酷か。それでもジーコ率いる日本代表はグループリーグを首位で勝ち上がり、決勝トーナメント1回戦でヨルダン代表をこの重慶に迎えることになった。
7月31日、5万人の観衆をのみこんだスタジアムはこれまで以上に蒸し暑く、これまで以上にブーイングが吹き荒れた。
川口能活に神が宿った、あのPK戦。
前半11分、声援に乗せられるかのように飛ばし気味のヨルダンに先制を許し、中村俊輔のセットプレーから鈴木隆行がこぼれ球を押し込んで1-1に。その後、両チームとも何度も決定機を迎えたが、スコアが動くことはなかった。
ノートに落ちたしずくは、冷や汗によるものも少なくなかった。声援とブーイングが繰り返され、あっという間に過ぎた120分。しめったノートの上に思わず「死闘」と書き込んで乱暴にボールペンを走らせて丸で囲んだ。試合の高揚感とこの後に控える緊張感が、別段書き込まなくてもいい言葉を筆者に記させた。
今でもあのPK戦は、昨日のことにように思い出すことができる。
日本が先行。1本目の中村俊輔と、2本目の三都主アレサンドロがピッチに足を滑らせて続けて失敗したことからキャプテンの宮本恒靖がレフェリーにエンドの変更を要請し、認められた。日本は3人目の福西崇史、4人目の中田浩二が成功させ、ヨルダンはここまで3人いずれも決めている。4人目が成功すれば、ヨルダンの勝ちだ。
ここからGK川口能活に神が宿る。