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女子バレー荒木絵里香が語った覚悟。
アスリートとして、1人の母として。
posted2017/09/05 07:00
text by
田中夕子Yuko Tanaka
photograph by
Kiichi Matsumoto
日に日に大きくなるお腹に手を当てながら、7年後に思いを馳せた。
「東京オリンピックの頃、この子は小学生だね」
2013年9月、'20年のオリンピック開催地が東京に決まった。
つわりや食欲不振に苦しむこともない、順調なマタニティライフを送りながら、自国開催の五輪に自分も何かしらの形で関わることができれば幸せだな。
あの頃の荒木絵里香は、そう思っていた。
'14年の1月に長女、和香ちゃんが誕生。出産後も競技を続けるとは決めていたので、産後も積極的に体を動かした。夜泣きする娘を、深夜、生中継された'14年ソチ五輪のフィギュアスケートを見ながらあやしてはスクワット。夫が帰宅し、娘が寝ている時間を見計らって近所をランニング。
競技復帰に向けて動き出した、とはいえ、アスリートと呼ぶには程遠い生活。あの頃はまだ、東京オリンピックはずっと遠くにあるものだった。
あれから、3年半。
ずっと遠くにあったはずの東京五輪は、もはや届かない場所にあるものではなく、目指すべき場所に変わった。
素直に嬉しい、と思う気持ちと、片隅にある迷い。
'17年3月、東京五輪に向けてスタートを切る全日本候補選手の中に、荒木も名を連ねた。'16年リオデジャネイロ五輪の直前に合流し、自身3度目となる五輪出場も果たしたが、当時はロンドンから引き続いて眞鍋政義監督が指揮を執り、木村沙織や迫田さおりなど、長年共にプレーした選手もいた。
まさか今年、新たな体制でスタートした全日本の中に、自分が選ばれるなど想像もしなかった。
素直に嬉しい、と思う気持ちと、片隅にある迷い。
スタートラインに立てる喜びと同じぐらい、本気で挑戦する以上、また合宿や遠征のたびに、母や夫、そして娘にも、大きな負担を背負わせるのではないか。