ぶら野球BACK NUMBER
ジャイアンツを追って東北へ……。
村田兆治伝説と福島牛の2泊3日旅。
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph byYasutaka Nakamizo
posted2017/07/13 11:00
これぞ「野球ぶらり旅」の醍醐味! 巨人戦がある球場最寄り駅の「羽前長崎駅」の佇まい。
「歩いている人、みんな球場だと思います」
改札の駅員に質問すると、「歩いている人、みんな球場だと思います」と笑顔。なんてシンプルな道案内だろう。
アドバイスに従って、とりあえず人の流れに身をまかせることにした。家が建ち並ぶまるで通学路のような道を行き、球場を目指す。
のどかだ。
プレイボールギリギリなので走ろうかと思ったけど、急ぐのが馬鹿らしくなって、ゆっくり歩いた。昼まで東京で必死こいて原稿を書いていたのに、今は見知らぬ街をぶらぶら歩いている。これぞ気ままな「ぶら野球」。住宅街を進む内にやがて球場からの歓声がクリアになり、田んぼ沿いの一本道を歩くと、緑の中に山形県野球場 荘内銀行・日新製薬スタジアムやまがたが見えてくる。
山形の地で、往年の村田兆治を想う。
『ロッテオリオンズ村田兆治投手 200勝達成記念 山形県中山町』
噂のその記念レリーフは球場正面の柱に飾られていた。近くで見るとマサカリ投法のイラストとともに「1989・5・13」「vs.日本ハム」という文字も刻印されている。
子どもの頃、スポーツニュースで見た村田の200勝。引退直後に出版された『剛球直言』(小学館)という自伝本の中でも、200勝を達成した'89年シーズンのエピソードがいくつか紹介されている。
この年、大記録まであと2勝と迫った状態で自身12回目の開幕投手を務めると、39歳の村田はなんと149球完封勝利を飾ってみせた。ちなみにその199勝目に対する自身の感想が、“ハイスパートレスリング”の長州力ばりに「年相応のピッチングなど、クソくらえ」である。