“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
最上級生からプロ1年目となる難しさ。
10年ぶりW杯へU-19世代の試行錯誤。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byYuki Matsuo
posted2016/10/08 11:00
U-19日本代表は5日に臨んだ磐田との練習試合で4-0と快勝。この勢いを中東の地へと持ち込む。
柿谷、宇佐美、南野……涙を飲んだ準々決勝。
過去のU-19の戦いを見ても、ピッチに立つ11人のゲームコンディションにばらつきが生じ、チームとしての一体感や組織的な連動の妨げとなり、相手の勢いに飲まれてしまう。それが同大会準々決勝で4連敗中という結果に直結していると言っても過言では無い。
2008年のAFC U-19選手権(サウジアラビア)ではC大阪でレギュラーだった香川真司と、出場機会を得ていた柿谷曜一朗が軸となっていたが、柿谷が初戦で負傷し、その後の試合に出られなくなった。そして香川はJ2を戦うチーム事情で、グループリーグ3戦を戦った後、準々決勝を前にチームを離脱し帰国してしまった。
さらにこの年代の中心選手になるはずだった金崎夢生も、ナビスコカップ(現・ルヴァン杯)の日程と重なったため、この大会の出場を辞退した。Jリーグでレギュラークラスの選手が抜けたチームは、準々決勝で“黄金世代”と呼ばれたU-19韓国代表に0-3の完敗を喫した。
'10年の中国大会(AFC U-19選手権、U-20W杯は2年に一度の開催)も、宇佐美貴史、酒井高徳らを擁しながらも、準々決勝でまたしても韓国に2-3で敗れた。'12年のUAE大会と'14年のミャンマー大会は特にコンディション格差が顕著で、'12年は久保裕也、'14年は南野拓実という絶対的エースを擁しながらも、コンディションが上がらないままの選手との連携が悪く、孤軍奮闘に陥って準々決勝の壁を破れなかった。
内山監督は「90分戦える選手」を重視して選んだ。
内山監督は前回のAFC U-19選手権をコーチとして戦い、この現状を目の当たりにしている。
「中2日で(1試合で)3人しか選手を代えられない中での連戦となるので、前提としては90分戦えるという選手を連れて行かないといけない。90分ゲームが出来ていない状態で大会に臨んで、3人しか交代出来なければ厳しい状態になるのは、前回大会を見ても明らかだった」
エース南野を支えたのは、当時高3の井手口陽介と奥川雅也だった。彼らはそれぞれG大阪ユースと京都サンガU-18で中心としてプレーしており、90分のゲーム体力、試合勘は十分だった。一方で関根貴大は、当時1年目からトップチームのゲームで出番を得ていたが、途中出場が多く、スタメンから中心としてプレーするコンディションではなかった。
前述したようにこうしたばらつきが、チームとしての戦いに大きく影を落としてしまう。それがU-19年代の恐ろしさでもある。