30歳の若さで千葉ジェッツの編成トップに就任し、NBAで長くプレーした渡邊雄太選手、高校世代ナンバー1プレーヤーの瀬川琉久選手を獲得するなど辣腕をふるう池内勇太GMは、異色の経歴の持ち主です。本格的にバスケに打ち込んだのは高校まで。早稲田大時代は学内のサークルや外部のクラブチームでプレーし、卒業後はテレビ局に就職しました。
「当時はバスケを仕事にするという考え方が一般的ではなかったし、バスケでご飯が食べられるなんて考えもしなかったので」
そう振り返る池内GMに転機が訪れたのは2011年の東日本大震災。東北楽天ゴールデンイーグルスの被災地支援に心を打たれ、幼い頃からぼんやりと描いていた「バスケをもっと広めたい」という思いを形にするため、出身地である兵庫を本拠地とするプロバスケチーム・西宮ストークス(現神戸ストークス)に入社。さまざまな業務にあたるうちに、競技経験と知識を買われて編成業務を担うようになりました。
2010年に誕生したばかりの若いチームには、GM業の何たるかを手取り足取り教えてくれる人は誰もいません。池内GMは「記憶がない」というくらい必死に頭と体を動かし、チームを強化するために試行錯誤し、Bリーグ開幕年の2016-17シーズンにチームをB2からB1昇格に導きましたが、翌シーズンは再びB2に降格します。
選手に「君の良さはここだよ」と伝えるのも仕事
GM業とはすなわち、クラブの「チーム部門」のマネジメント業です。予算の策定、チームの方向性の立案、エージェントとのやり取り、学生や海外リーグの動向チェック……。多忙な日々を送る中でも、池内GMはなるべく練習現場を訪れ選手の表情を観察し、コミュニケーションをとるようにしていると話します。
「表情がよくない選手や不調の選手に『君の良さはここだよ』みたいなことを話して軌道修正することは心がけています。勝ってる/負けている、プレータイムが多い/少ないなどさまざまな要素でお互いの関係性やコミュニケーションの取り方も変わっていきますが、話さないとわからないことは多いですから」
渡邊選手は多数のオファーから千葉Jを選んだ決め手の一つに「(NBAを離れる原因となった)自分のメンタルヘルスの問題についても言及してくれたから」と話しています。被災地報道や西宮での自身の経験を通して「心のあやうさ」に触れてきた池内GMのこれまでの生き様が、現在の彼のアプローチに映し出されているのだと感じさせられました。
動画ではほかにも以下のようなことを聞いています。
・新米GMがチームの信頼を得るために行ったこと
・渡邊雄太と瀬川琉久、2人のトッププレーヤーを獲得したプレゼン術
・若手選手を獲得する理由、彼らを育てる難しさと喜び
・思わぬ結果に終わったシーズン前半戦の振り返りと後半戦の展望
・千葉ジェッツと自身が追い求める今後の景色
1万人規模のホームアリーナ「 LaLa arena TOKYO-BAY(ららアリーナ 東京ベイ)」が誕生し、新たなフェーズに突入した千葉ジェッツ。「広い視野を持ち、もっとバスケ業界を引っ張れる存在になりたい」と今後を語る異色の若手GMの、次なる一手がいっそう楽しみになるインタビューです。(1月15日取材)
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