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【動画】「あの決断が正解だった」ジェッツ一筋9年目…原修太が語る“夢がなかった”入団秘話とチーム内の役割「同じことをやったらチームは崩壊する(笑)」《千葉ジェッツ特集③》

Bリーグの魅力と現在地、そして伸びしろを深掘りする新連載「Basketball Boice」。ひとつのチームにフォーカスして連続で動画インタビューを行い、チームカルチャーや自身のプレーについての生の声をお届けします。千葉ジェッツ編の第3弾は地元船橋出身でジェッツ一筋9年目の原修太選手です。第1弾は池内勇太取締役/GM、第2弾は金近廉選手、今後、西村文男選手にもご登場いただきます。

 千葉ジェッツ在籍9年目を迎える原修太選手は、今年1月、LaLa arena TOKYO-BAY(ららアリーナ 東京ベイ)で行われた『Bリーグオールスターゲーム』に初出場を果たしました。

 原選手は過去に2度オールスターに選出されていますが、2021年(茨城開催)はコロナ禍で中止となり、昨年(沖縄開催)は骨折で辞退しています。「もうオールスターには縁がないのかな……」と思っていたそうですが、チームの本拠地かつ自身の出身地である千葉・船橋開催というメモリアルなオールスターで出場が実現。「やり尽くしました」と笑顔で振り返りました。

Tomosuke Imai
Tomosuke Imai

 船橋で生まれ育った原選手にとって、ららアリーナのある南船橋は「ららぽーと(大型ショッピングモール)に行くだけの場所」。そして、原選手が入団した2016年当時の千葉ジェッツは、まだ街に深く根付いたチームとは言えませんでした。

 「プロには夢がない」。原選手はジェッツ入団が決まる少し前に取材を受けたメディアにそんなことを話したと苦笑しながら明かしましたが、10年近くが経った今、日本バスケ、そして千葉ジェッツは原選手の想像を超えるようなフェーズに突入しています。「これからどうなるかわからないリーグに進んでいくのも面白い」とプロ入りを決め、今ではその決断が正解だったと断言できるという原選手は、初めてららアリーナで試合をしたときの気持ちを、次のように教えてくれました。

「(それまで本拠地としていた)船橋アリーナは本当に地元で愛着がありましたが、ららアリーナに立ったときは『ここまで来たんだ』って思いましたね。ジェッツ、船橋にようやくアメリカみたいなアリーナができて、1万人近い観客で埋まって。10年前では考えられないことです。泣きはしませんでしたが、すごく感動的な光景でした」

原「自分も同じことをやったらチームは崩壊するので(笑)」

 原選手が千葉ジェッツで果たす役割は、個性豊か……もっと言えばエゴの強いチームメートたちを「チーム」としてなめらかに機能させる潤滑油です。

「入団当時から試合に出られないことも多かったので、そのときそのときにできることを探すという意識は、ずっと変わりません。個が強い選手ほど自由にやりたがりますし、そこで自分も同じことをやったらチームは崩壊するので(笑)。トレヴァー・グリーソンヘッドコーチは1つのカット、1つのスクリーンといった地味ながらチームに貢献するプレーを評価してくれるヘッドコーチなので、コーチと話をし、納得しながらその仕事をまっとうしています」

 オールスターブレイクをはさみ、Bリーグレギュラーシーズンは後半戦に突入。ぶっちぎりで首位を走ると予想された千葉Jは主力のケガが相次ぎ、思うような勝ち星を挙げられずに前半戦を終えましたが、原選手は前半で苦しんだ分だけチームは成長していると力を込めます。

「日本人だけでプレーしたりする時間帯もありましたが、そこで点差を詰めたりすることもできました。メンバーが揃ったここからは上がっていくだけなので、頑張っていきたいです」

Tomosuke Imai
Tomosuke Imai

 動画では、他にも以下の話題について聞いています。

地元オールスターの裏話

船橋と千葉ジェッツの今と昔

好きなNBA選手はボストン・セルティックスの「あの二人」

これからの10年における目標

未来のジェッツに期待したいこと

 入団当時から「ジェッツの末っ子」というイメージが強かった原選手ですが、日本代表として自国開催のワールドカップを経験し、30歳を越え、すっかり落ち着いた風格を漂わせながらチームを支えています。地元出身の生え抜きプレーヤーの視点から見た千葉ジェッツ、どうぞご堪能ください。(1月21日取材)

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photograph by Tomosuke Imai

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