箱根駅伝PRESSBACK NUMBER
“寄せ集めチームの奇跡”2004年の日本学連選抜は箱根駅伝に何を残したのか?「地方や国公立大の選手にも光を」今も続く絆「これ、当時の襷なんです」
posted2026/01/30 11:34
2004年の第80回箱根駅伝。アンカーの片岡祐介を中心に歓喜を分かち合う日本学連選抜のメンバーたち
text by

小堀隆司Takashi Kohori
photograph by
Sankei Shimbun
復路メンバーの奮闘「良い流れを壊さないように」
2004年1月3日、復路スタート。
日本学連選抜チームは、「入賞(シード圏内の10位以内)」を大きな目標に掲げて走り出す。当時はまだ決定事項ではなかったが、この年の選抜チームの走りいかんでは、また今回のような選抜チームが記念大会ごとに組まれるかもしれない……というまことしやかな噂があったからだ。なにより、地方の大学の実力を示すことが、このチームの存在意義だと考えていた。
6区を任されたのは、立命館大の稲井義幸。2年生で唯一の出場を果たすと、物怖じしない走りで区間11位と健闘する。箱根の常連校が一年かけてスペシャリストを養成してくる区間で、アウェーの下級生がよく粘ったと言えるだろう。
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7区の辻裕樹は京都産業大の3年生。箱根路に刻まれる、関西地区のランナーによる襷リレーだった。公立の草津東高出身の辻は、区間6位と大健闘。チーム順位は8位のままだったが、3つ前の5位中央大の背中をわずか16秒先にとらえていた。
まさに大混戦の中で、8区の末吉勇(岡山大3年)に襷がつながる。
2日前の選手交代で急きょ出番が回ってきた末吉だったが、比較的冷静に目の前の状況を受けとめていた。
「なにせもう、襷をつなぐだけだと考えてましたから。私には劇的にレースを変えるだけの力はなかったので、とにかくこの良い流れを壊さないようにと。だから、前が見える位置で襷をもらったんですけど、すぐには追いつこうとしなかったんです。突っ込んで入って、途中で打ち上がるのだけは避けたかったので。で、最初の10kmは様子を見ながら行こうと考えていたら、後ろからすごいスピードで追いつかれたんですね」

