- #1
- #2
マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
ドラフト6位→トミー・ジョン手術から侍ジャパンへ…高校時代は甲子園出場ナシ「寮で一人で泣いていました」超無名の高校生がWBC初選出を掴むまで
posted2026/01/29 06:02
球界を代表する投手のひとりとなったロッテの種市篤暉。ドラフト下位指名からトミー・ジョン手術も経験するなど波乱万丈の経歴でもある
text by

安倍昌彦Masahiko Abe
photograph by
JIJI PRESS
今年3月に行われるWBCの日本代表メンバーが発表された。初選出となったのが27歳の種市篤暉投手だ。高校時代は甲子園出場経験もなく、ドラフトも下位指名。しかもそこからトミー・ジョン手術も経験という苦境を経ての覚醒はなぜ起きたのか。「無名時代」の姿を知るベテラン記者が振り返るその魅力とは。《NumberWebレポート全2回の2回目/最初から読む》
「甲子園に行くつもりでしたから、自分たち!」
いまからちょうど10年前の2016年の秋のこと。取材に訪れた青森・八戸工大一高の種市篤暉は、そんな言葉をハキハキと語っていた。
つい1時間ほど前、初対面のあいさつの時から、こちらの目を射抜くようなまな差しが、胸を揺さぶっていた。
ADVERTISEMENT
「自分のほかにも、いいピッチャーが2人いて、バックも揃っていて。『これなら甲子園行ける!』って、信じていました。絶対行けると思って、夏に入りましたから」
マウンドでの投げっぷりそのままの、決然とした口調だった。
「グラウンドにビニールハウスを作ってもらって、冬の間にそこでガンガン振り込んだんで、絶対打ち負けないし。春の東北大会も、相手に打ち勝ってベスト8まで行ったんで、チーム力、ぐんぐん上がっていましたから、春から夏にかけても」
甲子園は出られず…「寮に帰って一人で泣いて」
背中の下のほうの筋肉を痛めて、春の公式戦では登板を避けていたエース・種市も投手陣に戻ってきて、万全のチーム力を備えて「夏」に臨んだ八戸工大一高。
「自分の調子もどんどん上がってきていたんですよ」
強い目のまま、うれしそうに笑っている。真っすぐな、きまじめそうなヤツだ。
「だから、甲子園、行きたかったっす」
今日負けてきたような言い方だった。
「甲子園、行きたくて、行きたくて、結局一度も行けなくて、試合負けて、寮に帰って、ずっと一人で泣いていました」

