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「僕はジャイアンツに必要ないのかな…」早稲田大卒ドラ3右腕が突然の通告に呆然〈長嶋巨人最後のトレード〉主役が語る波乱の野球人生
posted2026/01/28 17:00
若き日の三澤興一さん
text by

佐藤春佳Haruka Sato
photograph by
JIJI PRESS
昨季まで巨人の三軍投手チーフコーチを務め、今季から国際部長に就任した三澤興一さん。現役時代は異例の“出戻りトレード”を含め巨人、近鉄、ヤクルト、中日と渡り歩き、アメリカの独立リーグにも挑戦した。異色の経歴を誇った右腕が、自身の歩みと数奇な運命を振り返った。〈Number Webインタビュー全3回の1回目/つづきを読む〉
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三澤さんが早稲田大学からドラフト3位で巨人入りしたのは1997年のこと。故・長嶋茂雄氏による第二次政権の監督5年目。西武から清原和博内野手がFAで加入し、松井秀喜外野手との「MK砲」が注目を集めた華やかなりしジャイアンツ全盛期だった。
選手に視聴率の話も…ミスターの教え
「当時の長嶋監督は本当に出ているものが違うというか、自分と同じ次元には感じていなかったです。僕らの前ではいつも笑顔で、チームの雰囲気を作ってくださった。印象に残っているのは試合前、我々選手たちに、お客さんのことやテレビの視聴率について話されていたこと。常にファンに見られているという意識を持って、魅力のある野球をしようということをおっしゃっていましたね」
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とはいえ、新人右腕の輝きも負けてはいなかった。早大時代は2年生からエースの看板を背負い六大学野球リーグ戦で通算31勝をマーク。4年時にはアトランタ五輪に出場し銀メダル獲得にも貢献した。鳴り物入りで巨人の門をくぐった三澤さんは、1年目からリリーフとして一軍で35試合に登板する活躍を見せた。
「一軍で登板した時に、自分の持っているものでバッターを打ち取る方法というところで手応えを掴んで、プロの世界でも戦えるなと感じた部分がありました。とはいえ、1年目は無我夢中でしたね」

