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「僕はジャイアンツに必要ないのかな…」早稲田大卒ドラ3右腕が突然の通告に呆然〈長嶋巨人最後のトレード〉主役が語る波乱の野球人生
text by

佐藤春佳Haruka Sato
photograph byJIJI PRESS
posted2026/01/28 17:00
若き日の三澤興一さん
当日にいきなり先発「長嶋監督が笑顔で…」
当時のジャイアンツ投手陣は、桑田真澄や斎藤雅樹、槙原寛己といった錚々たる顔ぶれだ。三澤さんはその中で一軍に定着し、ルーキーイヤーから4年連続で35試合以上登板。プロ4年目の2000年は中継ぎエースとして41試合に登板し、巨人の4年ぶりのセ・リーグ優勝と日本一に貢献した。
「一番印象に残っているのは、当日の先発投手が急遽登板を回避して、リリーフだった僕がいきなり先発マウンドに立った試合です。4回くらい投げたと思うんですけど、交代してベンチに座っていたら長嶋監督が近づいてきて、ものすごい笑顔で『ご苦労さん』と声をかけてくれたこと。日本一になって長嶋監督を胴上げできたことも、今となっては本当に誇らしいことだと思います」
転機が訪れたのは翌2001年のことだ。春先から怪我に見舞われシーズン開幕後の登板は2試合のみ。6月には左太ももの筋膜炎で離脱し、二軍のジャイアンツ球場でリハビリを続けていた三澤さんに突然、球団幹部から連絡が来た。
突然のトレード「断れないと知らなかった」
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「球場の外のとある場所に呼び出されて、そこで初めてトレードを告げられました。僕はそれまで、トレードって選手の方には選択権がないというか、断ることができないものだということを知らなかったんですよ。ちょっと考える猶予を……と思ったんですけど、猶予も何もなかった(笑)。当たり前ですけどね」
6月21日、巨人と近鉄との間で2対2のトレードが発表された。巨人側は三澤さんに加え、玉峰伸典投手を交換要員に、近鉄から田畑一也、真木将樹の両投手を獲得する緊急トレードだった。春先から斎藤雅、槙原、桑田のベテラン勢が故障し、左腕の工藤公康投手も離脱。首位を走りながらも投手陣の不調でペースダウンしていたチームに危機感を覚えた長嶋監督のいわば“カンフル剤”だった。

