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「すごかったです。言葉が出ないというか…」“史上最年少三冠王”村上宗隆が初めて感じた「大谷翔平、打撃練習の衝撃」<WBC侍ジャパン秘話>
posted2026/03/16 17:27
2022年にNPB史上最年少で三冠王を獲得し、今季よりメジャーに挑む村上宗隆
text by

生島淳Jun Ikushima
photograph by
Nanae Suzuki
発売中のNumber1139号に掲載の[三冠王の覚悟]村上宗隆「逆風に立ち向かえ」より内容を一部抜粋してお届けします。
高校時代は日本代表にも選ばれず
村上宗隆は反骨の人でもある。
高校時代は1年生の夏に、一度だけ甲子園出場するもノーヒット。3年の夏は熊本県外出身者が多数を占める秀岳館に決勝で敗れた。全国で実力を示す機会がなかったこともあり、日本代表にも選ばれなかった。甲子園で活躍した同期生、清宮幸太郎(日本ハム)、安田尚憲(ロッテ)、中村奨成(広島)らの評価が高く、ドラフトでは清宮の外れ1位でヤクルトへの入団が決まる。
「日本代表は憧れでしたけど選ばれませんでした。でも、その経験はモチベーションにつながりましたから」
4番にふさわしい人材
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2018年、ヤクルトに入団すると、村上のポテンシャルを活かすべく英才教育が始まった。当時、二軍監督を務めていた高津臣吾は「絶対に4番」と決めた。
「4番は育てようと思って育てられるもんじゃないです。ムネは4番にふさわしい人材でしたから、二軍戦ではどんなことがあろうと4番に固定。そして9月に一軍を経験することで、翌年につながるという算段でした」
9月16日の広島戦で一軍デビューすると、岡田明丈から初打席初本塁打を放ち、「未来の4番」のイメージはここで固まった。
村上にメジャーリーグへの扉を開いたのは、先輩の青木宣親だったかもしれない。アメリカで6年間プレーした青木が行うロサンゼルスでの自主トレに1年目のオフから参加した。青木のひと言、ひと言はアメリカの野球とつながっていた。
「体の柔軟性が基本だから」
「日本は下からフィードされるティーバッティングが多すぎるから、みんな、ダウンスイングになっちゃう。だから、シンカー系の球打てないでしょ?」

