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大学部活は門前払い→一般企業に就職でも…高校で全国制覇の女子ラグビー選手が“業界初のプロ宣言”をしたワケは?「今しかできないことに全力を…と」
posted2025/11/23 11:01
慶大時代は大学の部活に入れず、クラブチームでの活動を続けた青木蘭さん。卒業後はケガもあり競技から離れることも考えたが、一転「プロ宣言」をすることに
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大友信彦Nobuhiko Otomo
photograph by
(L)Shigeki Yamamoto、(R)Nobuhiko Otomo
神奈川県茅ヶ崎市で生まれた青木蘭は、3歳のときにラグビーを始め、男の子に混じって楕円球を追ってきた。
「女子もラグビーなんてするの?」と奇異な視線を浴びながら競技を続けてきた青木だったが、中学1年のとき、男女7人制ラグビーの五輪種目採用が決定すると、女子ラグビーに追い風が吹き始めた。
全国に先駆けて女子ラグビー部を創部した島根県の石見智翠館高に進んだ青木は、高2のとき全国高校選抜女子セブンズの同校初優勝に、高3のときは主将として連覇に貢献。高校女子ラグビー選手の頂点に上り詰めた。
大学進学後、まさかの「選手として迎えることはできない」
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さらに大学進学にあたっては慶応義塾大学を受験し、合格。日本ラグビーのルーツ校として知られる名門ラグビー部に、初めての女子部員として加わるつもりでいた。だが……入学式の前日に届いたのは「選手として迎えることはできない」という通告だった。
――ショックでしたか。
青木 はい、さすがに直前でしたし。ただ、そうなる可能性も覚悟していたので、受け入れることはできました。蹴球部の正式部員として加わることは「難しいかもしれない」ということは最初から伺っていましたから。「マネージャーなら……」という提案も、蹴球部として私を迎え入れる方法を探って考えてくださったのだと理解しました。恨みはまったくありません。
実際、蹴球部OBの方から慶応ラグビースクールの講師を頼まれたり、蹴球部員ではない形で慶応のラグビーファミリーに加えてもらえたと感じていたし、メンバーが集まれば、女子ラグビー部の設立も大学に認めてもらえるかもしれない。気持ちは全然、前向きでした。
――そこからは、蹴球部に入部を認めてもらうことよりも、別組織として女子ラグビー部の設立を目指したわけですね。
青木 いろいろやりました(笑)。勧誘ビラを自作して、キャンパスで新入生に配ったし、母校の後輩はもちろん、大会やアカデミーキャンプなどで知り合った他校の後輩たちにも声をかけて、興味を持ってくれた子には小論文の書き方をレクチャーして、模擬面接の相手もしました。

