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大学部活は門前払い→一般企業に就職でも…高校で全国制覇の女子ラグビー選手が“業界初のプロ宣言”をしたワケは?「今しかできないことに全力を…と」 

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大友信彦

大友信彦Nobuhiko Otomo

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photograph by(L)Shigeki Yamamoto、(R)Nobuhiko Otomo

posted2025/11/23 11:01

大学部活は門前払い→一般企業に就職でも…高校で全国制覇の女子ラグビー選手が“業界初のプロ宣言”をしたワケは?「今しかできないことに全力を…と」<Number Web> photograph by (L)Shigeki Yamamoto、(R)Nobuhiko Otomo

慶大時代は大学の部活に入れず、クラブチームでの活動を続けた青木蘭さん。卒業後はケガもあり競技から離れることも考えたが、一転「プロ宣言」をすることに

転機となったのは「東京オリンピック」

――そして一輝さんと結婚する。

青木 コロナがようやく収束しかけてきた2021年1月に入籍しました。ケガはまだ治り切っていなかった。ゲームからも離れていたし、オリンピックへの道もいつの間にか遠くなっていました。そのころは、ケガが治って復帰したとしても、そこから世界で戦うだけのフィジカルを身に着けられるかな……と、ちょっと不安な気持ちがありました。このまま会社員として働いて、子供を産んで、普通に母親として生きていくのがいいのかな……と。でも、東京オリンピックをテレビで見ているうちに気持ちが変わりました。

 2021年7月、コロナ禍で1年延期された末に行われた東京オリンピック。日本チームは世界に圧倒された。男子も女子も、プール戦ではすべての試合に大敗。男子は最後の最後、アジア代表で出場していた韓国を破り辛くも最下位を免れたが参加12か国中11位。

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 女子はアジアのライバル中国にプール戦で大敗し、9位以下戦でもケニアとブラジルに敗れ、5戦全敗で12か国中最下位の12位に終わった。

青木 日本代表は知っている選手ばかりでした。ほとんど全員と対戦したことがありましたし、石見智翠館や慶大、フェニックスの後輩もいました。選手はみんな、本当に頑張っていた。だけど、どんなにがんばっても世界の壁には届かない。

 スタジアムへ行って、直接応援出来たら……と思ったけど、コロナ下で試合はすべて無観客。応援することもできなかった。みんな、暑い中で倒れそうになりながら頑張っている。なのに、自分はエアコンの効いた涼しい部屋でテレビで見ているだけ。そんな自分が情けなく、悲しかった。そのときですね、『私、もう一回、本気でラグビーやる』という気持ちが沸き上がってきました。

――本気で、とは、世界を目指すということですか。

青木 私は3歳からラグビーをやってきましたが、大会MVPに選出していただいたりと結果は出しても、一度も日本代表に選ばれたことはなかった。正直「これ以上何をしたら日本代表になれるのか」と思ったし「これだけやっても選ばれないのなら無理だ」と自分自身を納得させて、夢を諦めていた部分もありました。でも仲間たちの涙を見て、それをテレビで見て涙を流した自分の気持ちと真剣に向き合って、もう一度人生をかけてラグビーに取り組もう、そのためには何かを変えないといけないと思い、会社を辞めてプロ選手になることを決めました。

 仕事は面白かったのですが、私はそのとき24歳になっていました。ラグビーでチャレンジできるのはおそらく30歳まで。仕事のキャリアは30歳を過ぎてからでも作れるだろう。今しかできないことに全力を注ごう――と考えて、2021年10月1日に「プロ選手になります」と宣言しました。まあ、プロ宣言と言っても実態はなくて、SNSで勝手に宣言しただけですが(笑)。

【次ページ】 プロ宣言→SNSを使った「スポンサー探し」も…

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