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松井秀喜が「打てない」と言った“阪神の天才”…なぜ一軍から消えた? 「自暴自棄になりました」リハビリ組で新庄剛志と同組に…目撃した“意外な素顔”
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岡野誠Makoto Okano
photograph byKoji Asakura
posted2025/11/01 11:00
巨人時代の松井秀喜が「打てないです…」と降参した阪神投手がいた
「自暴自棄になりましたよ。次から次へと、なんでこんなにケガをしてしまうんだと。足を痛めると走れないから、ピッチングの土台である下半身も鍛えられない」
憔悴した気持ちのまま、トレーニング場に赴いた。すると、同じリハビリ組の新庄剛志が黙々と己を磨いていた。
「ウェイトをすごく一生懸命していました。『ジーパンが似合わなくなるから、筋トレしない』という話が広がってますけど、新庄なりの照れ隠しなんじゃないですか。たしかに、下半身よりも上半身を鍛えていたような気はしますけどね。甲子園ではロッカーが横でした。自分の体を鏡で見て、『たむじいさん、どう? すごいでしょ?』ってよく言ってましたよ」
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辛いのは自分だけじゃない。仲間の姿勢が、左腕を奮起させた。96年、田村は2度目の復活を果たす。5月25日の復帰戦ではヤクルトの辻発彦にタイムリーを浴びたが、次の登板からは無失点を続けた。そんな“天才”に屈辱的な場面が訪れる。
復帰後に痛感…下がった序列
事件は、かつて喝采を浴びた甲子園で起こった。6月14日の巨人戦、阪神は先発・川尻哲郎の好投、3番・平塚克洋のタイムリーなどで1点リードのまま、終盤を迎える。巨人は7回2死二、三塁のチャンスで、代打に左の福王昭仁を送った。“鬼平”藤田平監督が田村をコールすると、長嶋茂雄監督は代打の代打として右の岸川勝也を告げた。
次の瞬間、満員の甲子園が戸惑いを見せた。阪神ベンチは敬遠を指示し、田村は4球外すと、郭李にマウンドを譲った。ピンチの場面でこそ頼られ、そして真っ向勝負を貫く。天才が自らの代名詞を奪われた。降板する時、どんな思いが交錯したのか。
「印象に残ってないですね。指示ですから、逆らう気持ちもない。使って頂けるだけでありがたいと思って、いつもマウンドに上がっていますから」
雑念を振り払った男の本音なのか。それとも、生きるための建前か。
1カ月も経たないうちに、敵地で同じ場面がやって来た。7月6日の巨人戦、同点の8回1死一、二塁の場面で、長嶋監督は左の代打・後藤孝志を告げる。鬼平が田村を送り出すと、ミスターは代打の代打として右の岸川を指名した。
田村の脳裏に、敬遠の記憶が蘇る。その瞬間、スイッチが入った。

