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松井秀喜が「打てない」と言った“阪神の天才”…なぜ一軍から消えた? 「自暴自棄になりました」リハビリ組で新庄剛志と同組に…目撃した“意外な素顔”
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岡野誠Makoto Okano
photograph byKoji Asakura
posted2025/11/01 11:00
巨人時代の松井秀喜が「打てないです…」と降参した阪神投手がいた
リベンジ、復活…松井秀喜キラーになった
俺は右でも抑えられる――。
雪辱の想いが胸に去来した。田村は岸川を三振に仕留め、ピンチを脱出。9回も3人で切り抜け、2年ぶりの勝利投手となった。
「そういう気持ちはもちろん、ありましたよ。なくしちゃいけないでしょう」
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勝負の世界において、「元守護神」の肩書きは意味をなさない。結果で全てを覆す。それが、飄々と生きる“天才の流儀”だった。
96年は40試合に登板し、防御率1.16をマーク。肩とヒジを壊し、以前のようなボールは投げられないのに、なぜ田村は抑えられたのか。
「ベンチやブルペンで、相手や味方のピッチャーの投げ方をよく見ていました。いつもチェックしていると、『今日は下半身が使えてないから打たれるな』とか『体重移動がスムーズだから抑えそうだな』とか、わかるようになってくる。その予想がピタピタ当たったので、無駄な投球練習をせず、精神的にも満を持してマウンドに上がれるようになったんです」
ケガによる衰えを、経験と知性で補った。それは、球界屈指の強打者・松井秀喜との対戦でも発揮された。
「投球練習の時、わざとバックネットに暴投したり、インハイに抜けたボールを放ったりしていました。そうすると相手は、当てられるんじゃないかと意識しますからね」
心理戦でも圧倒した変則左腕は96年からの2年間で、9打数1安打、5奪三振に封じ込めた。ゴジラは天敵攻略について、冗談を言うしかなかった。
〈そりゃあなかなか打てないですよ。対策? セーフティーバントです〉(1997年8月19日付/日刊スポーツ)
野次に応酬「うるせえ!」
強打者を完璧に封じても、田村は騙し騙し投げる自分に歯痒さを感じていた。その苛立ちが天才を敏感にさせた。97年8月17日の広島戦(大阪ドーム)、8回のピンチに登場したものの、打者4人に3安打を浴びて降板。マウンドを降りると、スタンドから容赦ない野次が飛んだ。田村は「うるせえ、この野郎!」と言い返しながら、ダッグアウトへ下がった。
〈つづく〉

