甲子園の風BACK NUMBER
田中将大200勝のウラで…早稲田実業“あの甲子園優勝メンバー”今何してる? 広告代理店、商社、生命保険に「転職組」も…駒大苫小牧と19年ぶり再戦
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柳川悠二Yuji Yanagawa
photograph byMasaki Fujioka
posted2025/10/01 11:01
2006年、夏の甲子園決勝カードが19年ぶりに実現。37歳になった早稲田実業メンバーたち
「今は僕らの時代と違って、野球を町中(まちなか)でやるにしてもいろいろと制限がある。こういうのびのびと白球を追える球場なら純粋に野球が楽しめる。僕らの世代ってちょうど今、仕事が面白くなってくる年代ですよね。以前、勤めていた電通はあくまで代理店業なので、自分でモノを作ったり、売ったりするわけじゃない。だから、個人的には仕事がうまくいっても達成感みたいなものを味わえなかった。現在はいろいろな事業・サービスに自らの責任で取り組める。そこが広告代理店との違いですね」(川西)
早実「2番」「4番」は今なにを?
早実チームで2番・三塁として出場したのは小柳竜巳だ。入学直後に早大野球部を退部した彼は、大学卒業後にエイベックスに勤めたあと、広告代理店の博報堂に転職。しかし、昨年、同社も退社した。
「博報堂の同期で仲良かったヤツが、もともと北海道の総合広告代理店である『インサイト』という会社の経営者一族だったんです。その彼が3年前に家業を継ぐ前提で博報堂を退社して、昨年、いよいよ社長になる、と。あわせて東京オフィスを立ち上げることになって、自分に声がかかったんです。35歳を超えて、新しいチャレンジをするなら頃合いかな、と。僕は野球をやるにしても、事業を立ち上げるにしても、誰とやるかということを大事にしている。今回の決断も、信頼できる仲間だからこそ決断できたと思っているし、それは高校時代の野球の経験が活きたとも言えると思います」
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19年前の早実で主将を務めた遊撃手の後藤貴司は、早実チームの4番遊撃手として出場したこの日も、軽快なプレーでゴロを捌いていった。早大卒業後、社会人野球「日本製紙石巻」でも野球を続けた彼は、社会人3年目を終えると引退し、社業に従事したあと退社。野球の動作解析などを行う「ネクストベース」に入社し、野球をデータ(数字)から研究する一時を経験した。そして昨年からは外資系の大手生命保険会社に勤務する。
この後藤は早実の野球部において今後大きな役割を期待されている。
〈つづく〉

